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2011年11月

2011.11.30

動画にしますか?

ビデオカメラを購入した。
子供のいるたいがいの家族が持っていて、節目節目のライフイベントを映像記録とし残している。という事は知っていたが、自分達には必要ないと思い、コンパクトデジカメに付いている動画機能で間に合わせていた。

そしてこの夏、娘がプールで泳ぐ姿をコンパクトデジカメで撮影していた妻が、こともあろうにカメラをプールに落としてしまった。さすがに直後は、変な音がしたり異様に熱をもったりして、実際に撮影済みデータのいくつかがダメになってしまったが、内部が自然乾燥するとまた使えるようになった。
ところが、最近仲良くしていただいている家族が、保育園でのイベントやお出かけの様子をビデオで撮影し、DVDで焼いてくれるようになり、画質の良さや、その時の空気感まで思い出されるような動画の魅力につい... 購入する事に決めたのだ。

それにしても、最近はそこそこのクオリティのビデオカメラが、結構お手頃な値段で買えるんですね。
10年以上も前に母からもらった某家電量販店の商品券を使わせていただき、2万円台の出費で納まりました。

早速 意味のない動画をいろいろと撮ってみたりして... Macには iMovieやらiDVDやら入ってはいるけれど...。
うーん、使いこなせるようになるまで、まだまだ時間がかかりそうである。

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2011.11.29

Julie & Julia を観た。

ステキな金縛りで久々に映画を観る事の楽しさを思い出し、かと言って、そうたびたびシネマに足を運べる訳でもなく、また特別見たい映画かかかっている訳でもないので、DVDを借りる事にした。

どうせ観る時間がない... という気持ちでDVDの棚を眺める時は「これも観たい、あれも観たい」と思うのだが、いざ観るための作品を探すとなると、どれを借りて良いかわからず、また借りたいと思う作品の在庫がなかったりする。
という事でまず、「ミニシアター系」で ペドロ・アルモドバル監督の作品を探すも、すでに観た事のある作品が2本あるだけ... 。
ミニシアター系の作品は、ある程度の事前情報の元に探さないと、途中で zzz に落ちてしまう作品がよくあるので注意が必要。

アクション、サスペンス、ホラー、アニメーション等は最初から対象外だし...。
なかなかコレと言った作品が見つからず、かと言ってあまり重いヒューマンドラマ系を観る気分ではなかったので、とりあえずヒューグラントのにやけ顔を探してラブストーリー・ラブコメディーセクションへ。いくつかの作品に手が伸びるも、この手の作品の場合、名の知れた俳優、名の知れた監督でないとちょっと不安な部分があり、悩む。

結局、たっぷり悩んで手に取ったのが、メリルストリープ主演の「Julie & Julia」。
この映画の事は何も知らなかったが、舞台が1940年代のパリと現代のニューヨークで、メリルストリープ主演だったらハズレる事はないだろうと思い借りてみた。 結果... とても良かった。

皆さんも、何をみたらいいか悩んだ時、あまり重い作品はパスしたい時、ヒューグラントの顔にゲップが出てしまった時とか... いいかもしれませんよ「Julie & Julia」。

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2011.11.28

そうだ、紅葉狩りに行こう 〜 秩父編 〜

「おだやかな一日になる」という天気予報を聞き、紅葉狩りに出かけた。
場所は秩父。iPadを立ち上げ、「秩父 紅葉」で検索したところ、前から少し気になっていた「秩父ミューズパーク」のページに行き着いた。 最新情報によると、イチョウ並木のイチョウは落葉してしまったが、梅園の奥の紅葉が見頃... との事。

我が家から秩父までは1時間とちょっとのドライブ。遠すぎず、近すぎず... ちゃんと出掛けた感のあるちょうど良い距離。
途中の風景も、色づいた木々の葉、鈴なりの柿、田畑、バイクのツーリング集団... と、日本の秋の休日を実感できる程よくノスタルジックなもの。

ナビの助けを借りながら秩父ミューズパークの梅園駐車場に着くと、確かに、違ったトーンで赤く色づいた紅葉がなかなか見事。
天気予報とは裏腹に寒さが厳しかったので、家から持参したホロホロおにぎりと焼きそばのお弁当と、途中のお店で購入した「豆たっぷり大福(娘はカニパン)」を駐車場に止めた車の中から紅葉を眺めながら食す。

食後は、園内のサインを見ながらぶらぶらと散策。
こども広場のローラー滑り台、展望台から観る秩父の街並、さまざまな形のレンタル自転車でサイクリングを楽しむ人たち...。
特別派手なアトラクションやイベントがなくても、みんな自然な笑顔でのんびりと休日を楽しんでいる。

夜眠る前に妻から「今日、そんなに楽しかったの?」と聞かれた。
どうやら秩父の自然からの良い気にあたって、無意識に「今日は楽しかったなー。」を連呼していたらしい。

来春の梅の季節にまた行きたいと思う。
お弁当と豆たっぷり大福、あとは娘が乗りたがっていたレンタル自転車用のお小遣い持って。

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2011.11.27

“グルグル”を飽きずに眺める。

この夏以降、インターネットで買った玄米を精米して使っている。
我が家に精米機が無いため、妻の実家に行った時、その都度約20合から25合くらいを精米させてもらっている。

義母に精米機の使い方を教えてもらって初めて精米した時は、そのシンプルな原理と、精米された白米の美しさに感動さえ覚えた。
1回に5合ずつ、10分弱くらいの作業... 。不思議なもので、精米機の中でグルグルと回りながら、少しずつ少しずつ白く磨かれて行く様は、ずーっと見続けていても飽きないものだ。

と、ここで気付いたのだが、20代前半に一人暮らしをしていた頃もにも似たような経験がある。
1週間分の溜まった洗濯物をコインランドリーで洗う時、ドラム式の洗濯機の中、乾燥機の中でグルグル回る自分の洗濯物を飽かずに見ていた記憶がある。本やウォークマンを持参するのだが、結局はあやしい姿でグルグルを見つめて過ごす。

お米の話しに戻すと、精米されて白くなったお米は、本当に光っているように見える。そして、精米したてのお米はとても美味しいご飯に炊きあがるのだ。

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2011.11.25

お家で鍋が最高でしょう。

午後仕事をしながら、「なんか、餃子とか食べたい...」という妻のつぶやきに「じゃあ今日は久しぶりに外食しようか。」と返したものの、どちらからともなく「でも、外食って面倒くさくない?」となって、開けてみれば結局「お家で鍋」。

豚肉と野菜の味噌仕立て鍋、豆乳鍋、豚と白菜のミルフィーユ鍋... 寒くなるにしたがって鍋の回数も増えている。
そして今日は、昨シーズンはまった「トマト鍋」。
しゃれた具材は何も入っていません。妻の実家からいただいた野菜、冷蔵庫に残っている野菜、それだけだとちょっと寂しいので、豚肉としめじを買い足して...。
コンソメでとったスープにパスタ用ホールトマトの缶詰を入れるだけ。でも美味しいんだなーこれが。

そして、鍋の具材をあらかた平らげたら、多めに残したトマトスープにフェデリーニをひと掴み、半分に折って投げ入れ、蓋をして7〜8分煮込みます。(スープで煮る場合、少し時間が長くかかりますが、程よい歯触りのパスタにしあがります。)

そこにコショウ適量と粉チーズをたっぷりとふりかけ、熱々のところを「ハフ、ハフ、お客さんに出す時はさ、ハフ、ハフ、ちゃんとパルミジャーノを削ってかけてさ、フォークで食べようね... ハフ、ハフ」とお箸で食べます。
邪道ですかね... でもね、本当に美味いんです。


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2011.11.24

歩道の敷石

前橋市内の歩道の敷石。
イスラム文様にも似たパターンと、時を経て角が取れ彩度を落とした風合いの良さに思わずシャッターを切る。
県庁所在地としての、かつての賑わいの面影もなくなった市中心街の、すこし寂しい雰囲気のせいもあって、下を向いて歩いていたからこそ目についた風景。
でも、開発から取り残されたからこそさりげなく残る、質が高かった時の都市デザインの痕跡か。
この敷石からは、いまどきのインターロッキングなどとは比べものにならいほどの温かみ、閉じられたシャッターの奥ある「街の人々の暮らし」を強くを感じることが出来る。

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2011.11.23

「ドングリ家族大集合」と「るなぱあく」

この季節何度目の小春日和だろう。
朝からおだやかに晴れた勤労感謝の日、私たち夫婦にとっての心の師匠が主催するアートイベント「ドングリ家族大集合」が、前橋の遊園地「るなぱあく」で開催された。
このイベントは毎年開催されており、小さい子供を連れた家族でにぎわうるなぱあくの一角で、用意したたくさんのドングリに、思い思いの顔を描いてもらうというシンプルで楽しいイベントだ。
私たちが着いた時には、すでにたくさんの顔が並べられていて、それぞれ個性的で見ているだけでも気持ちが楽しくなってくる。

今年のドングリは、例年と違ってとても手間がかかっている。
空間放射線量の数値が安全とされる公園で採取したものを、しっかりと水洗いし、ぞうきんで拭いて仕上げたそうだ。
そう言われてみると、全てのドングリがきれいにツヤツヤしていた。
子供の頃から普通に拾い、遊んでいたドングリをなぜ洗わないといけなくなってしまったのか...。
ドングリに限らず、子供達にとっての遊びや食を含めた、本来無意識に楽しいと感じていた暮らしの環境が大きく変わってしまった事を改めて考えさせられ、また、主催者がドングリを洗いながら考えたであろう事を想像すると、少しやりきれない気持ちになった。

前橋の「るなぱあく」は小さい子供を遊ばせるには最高にオススメの遊園地です。
もともとは「前橋市中央児童遊園」として昭和29年に開園した遊園地で、何よりも目玉アトラクションは「木馬」。
もくば館と5台の木馬は1954年製で2007年に国の登録有形文化材に登録されている。全国の遊園地で、稼働中の遊具で登録文化財となっている唯一のものらしい。1回10円也。
その他、こじんまりしてはいるものの、年齢が合えば十分楽しめるアトラクションが基本的に1回50円。コイン式の乗り物は全て10円という、恐らく開園時以来変わっていないのでは...と思えるプライス設定。
そんななつかしくて素朴な遊具やアトラクションで、自分の子供が満面の笑顔で喜ぶ姿を観る事ができたら...大人にとってはまさにプライスレスなのではないだろうか。

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2011.11.21

真冬の到来...か?

朝方はおだやかだった天気が、昼頃から少し冷え始めて、夕方にはかなりの寒さになった。そして、
今晩は年に4回ある仲間との飲み会があり、30分後のバスに乗って『街』に繰り出す予定になっている。

9月、10月から始めた仕事が印刷物となって納まり始めている。
こんな風に印刷物やホームページが動いてると、この冬もさほど寒さを感じなくてすむのだが... 果たして年末、年始に向けてどうなる事やら。でもまー、ポジティブに楽天的にいきましょう。

今日どこかで読んだコト... まじめにコツコツも良いけれど、40歳を過ぎたら「いい大人が... 」って言われるくらいがいいそうです。とっくに40は過ぎていますが、こういった事って、やろうと思ってとか、なろうと思って出来るものではないですよね。
やっぱり、自分らしくがいいんだと思います。

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2011.11.20

50%はおもいやり...。

先日、車の中でかかっていたラジオで、あるコメンテーターがこんな事を言っていた..。

“日本の社会において、毎日自動車を利用するために交通に関するいろいろな規則があるが、安全や快適性に規則が関与している割合は50%に過ぎない。残りの50%は道路を利用している他者に対するおもいやりだ...。”

最近、自転車に関するニュースを良く耳にする。その多くは、自転車に乗る人が増えた事、事故が増えた事、そしてマナーの悪い人が多いという事。
自然と、道路における自転車のあり方が取りざたされ、「車と同じ扱いにしろ」とか「車道を走れ」とかいう話しになって来ている。
私はたまたまヨーロッパの都市で自転車通学をしていた時期がある。確かにあちらでは、自転車は車と同じ扱いにされ、一方通行違反や歩道を走ればパトカーに止められ注意を受ける。しかし、だからと言って事故もあるし、マナーが悪い利用車もたくさん居る。そしてもちろん、自転車愛好者はその何十倍も存在している。
要は、道路を利用する歩行者、自転車、車... の共存のあり方なのだと思う。はっきり言って、ヨーロッパのそれは、時間をかけて今の形があり、関係性が確立し成熟している感がある。かと言って、今だ様々な問題を抱えている。

娘を自転車のチャイルドシートに乗せて、一応車道の左側を走っていると、前方から車道の右側を横二列、時に三列で走って来る高校生の集団。こちらは当然、自転車を左に寄せてその集団が通り過ぎるのを待つ訳である。近くの交差点で旗を持って立っているその高校の教師が「おいおまえら、左側を一列でちゃんと走れ!」なんて注意をしているところは一度も見た事がない。
車にしたって、走っている自転車の存在を確認する事もなく左折してくる車がどれだけ多い事か。
犬を散歩している歩行者、その長ーいリードに道を塞がれていたり、突然犬に吠えかかられて思わず急ブレーキをかける事もある。
歩道はダメ、車道の出来るだけ左側、白線の内側を走れと言われても、歩道と白線の間が20センチくらいしか無い幹線道路の場合はどうしたら良いのか...。
悲しいかな、これが今の日本の現実なのだ。

自転車ユーザーにああしろ、こうしろ、と言うと同時に、歩行者やドライバーにも状況の変化を認識してもらい、受け入れる気持ちを持ってもらわないといけないと思う。
時間をかけて「関係性=規則」をつくって行かないと...。それまでは「おもいやり」中心で共存していきましょう。

写真は庭のジューンベリーの葉が色づいているところ。

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2011.11.18

美味なる土産「 京名菓 阿闍梨餅」

毎年恒例の旅行で京都に行って来た母がお土産でくれたお菓子。
「京名菓 阿闍梨餅」

もち米をベースにした、モチ通りもちもちした皮で、丹波大納言の粒あんを包んであります。
食感、品のある甘さ、罪悪感を感じないサイズがとてもとてもちょうど良いお菓子。どすえ。

京名菓と称されながらも居高くなく、口にした者全てが「美味しい」と唱える様、そのさりげない存在感は、まさに和菓子界の阿闍梨なのです。


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