思うこと Feed

2013.05.22

宿題... のデザイン

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自分の子供に限らず、友人の子や甥っ子、姪っ子を見ていて「毎日毎日ちゃんと勉強するんだ... 。」と思ってしまいます。
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自分が小学生の頃は... と、比べるのもナンセンスなのかもしれませんが、本当に毎日、自分で教材を用意して、学校からの宿題+課題をこなしていきます。
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最近の教材、特に月々の料金を払って送られて来るものは、大人が見てもとても良く出来ています。
絵やイラストがふんだんに使ってあって、オリジナルのキャラクターが問題を解くための案内をしてくれます。
音がでるデバイスも付いていて、問題を読み上げてくれたり、動物や鳥の鳴き声を音で教えてくれたり... 、その音も、ちょっと前までの「いかにも電子音」といったものでなく非常にリアルなのです。
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子供が自ら進んで勉強できるようにしっかりと心をつかみ、課題に取り組む間は楽しく集中できるように、良くデザインされているのだと思います。
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付録やおまけは最終的にゴミとなる訳で、その辺り疑問に感じない訳でもありませんが、全体的な質の高さと、子供が喜んで学ぶという習慣づくりのために受け容れられる範囲かな... と思っています。
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今晩の夕食後のやりとり...
「録画しておいたアルプスの少女ハイジ見る?」
「ううん、さんすうする。」
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2012.04.07

備えて 楽しむ。

去年の3月11日以降、どうしても足が遠のいていた東京へ、打ち合わせやら展示会やらで行く機会が増えて来ました。

そして、3.11以降に変わった事のひとつとして、東京に出向く際、実家の親に「今日は東京だから何かあったらよろしくお願いします。」と声を掛けるようになったことがあります。
もし、帰れなくなるような状況になったり電話連絡も出来ない状況になってしまったら。その時は娘を保育園まで迎えに行って欲しい、という念のためのお願いです。

それでも、やっぱり刺激されるし楽しいですね。東京は。
だからこそ、車の荷室にいざという時のための「災害時用リュック」を用意しておこうと思います。
携帯ラジオ、水、懐中電灯、携帯電話の充電器... そして多めのチョコレート。非常時ですから。
あと、モチベーションを高めるため、火事場の馬鹿力用として、家族の写真。

備えよ常に... そして楽しみましょう。Life goes on... ですから。


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2012.03.21

貸出期限票

3月に入ってから、古い友人とメールのやり取りをしています。
以前このブログでも取り上げた事のあるその友人とは、もう十年以上会っていなくて、メールも年に1〜2通やり取りする程度でした。

去年の暮れにメールで届いたクリスマスメッセージに返信出来たのが今年の2月に入ってから。
そのメールに対して彼から返事が届いたのが3月の始めで、それ以来ちょくちょくやり取りが続いています。
その理由は、何と言っても、いろいろな意味で個性的な彼とのやり取りがとても懐かしく、一緒に過ごした80年代後半から90年代はじめまでの思い出が鮮明に思い出されること。そして、自分の周りで今年動き始めた新しいプロジェクトに関係して、彼が私のリクエストに快く応じてくれて、貴重な情報や制作の糧をもたらしてくれるからです。
あえて難点があるとすれば、こちらが送るメールが「つぶやき」程度なのに対して、彼からのメールは「論文」のようなボリュームがある事で、どうしても、その部分に時間を取られてしまいます。(だからブログの更新がなかなか進まない... という部分に繋げたいという情けない自分。)

先日図書館から借りて来た絵本の貸出期限票。
最初の日付が「61.8.-4 」。26年前の1986年になっています。
1986年には、瀬古選手がロンドンマラソンで優勝し、マイクタイソンがヘビー級を王者となり、ビートたけしとその軍団が、講談社「フライデー」編集部に殴り込んだとwikipediaに書いてあります。
この貸し出し期限票、途中日付が西暦になったり、新旧入れ替わったりしていますが、私で27人目です。
新刊として入った年に3回貸し出されていますが、その後少しずつ回数が減って、私の前に貸し出されたのが4年前の平成20年。こういう日付の羅列を見ていると、絵本の傷みや汚れと相まってつい感傷的になってしまいます。

メールを通して友人を近く感じる分、過ぎている時間に驚きを感じます。彼ももう50に手が届くはず...。


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2012.03.09

本末転倒?

今年は春がとても遠く感じます。
この時期「三寒四温」と言いますが、この場合の「寒」ってこんなに、雪が降るほどの寒さだったでしょうか。

目の前の御膳に美味しそうなおかずがたくさんありすぎて、どれから手をつけたら良いか分からず、眺めていたら何となくお腹いっぱいになってしまい、そろそろ手を付けようかと思ったら「もうすぐ閉店ですよ。」と言われて思い切りあわてる自分...。そんな事の繰り返しです。
大好きなもの、旬のもの、近くにあるもの、何でもいいからお腹の空いているうちに順番に箸をつけていけば、暖かいものは暖かいうちに、柔らかいものは柔らかいうちに、美味しくいただけるものを...。
そんな事は重々承知しているのですが、こと仕事になるとそう上手く動けないのも、これまた人の悲しい性... いやいや自分がただ単に愚図なだけなのです。

半分がそんな父親で出来ている5歳になったばかりの娘。とにかく制作が大好きで、時間があると何かを作り、描いています。
今朝も起きてから朝食までの10分足らずで一作品作り上げていました。
彼女の場合なかなか手が込んでいて、まず折り紙を2枚持ってセロテープで貼り合わせ、見開きに仕立て、表紙になる部分にそれぞれ絵を描きます。中面には、別の折り紙で形を折り模様を描き、さらに絵を描き...と言った具合に、せっせと手を動かし、短時間に作品を作り上げてしまいます。

「お父さんもこうすれいいんだよ。簡単簡単。楽しいよ。」
黙々と手を動かす娘の背中を、納豆をかき混ぜながらぼんやりと眺める父親... 。「俺に似なくて良かった。」
我が家の場合は「子の背中を見て親は育つ。」(父親限定)なのです。


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2012.02.22

最高のセットアッパー

週に2日、午後の2時間だけ開いている近くの公民館の図書室から月曜日に本を借りてきます。
自分用の小説を2冊と子供用の絵本を3冊。(妻は出来るだけ目を休めるために読書自粛中)
返却までの2週間にちょうど2冊を読み切るペースですが、思ったより読み易くて早めに読み終わってしまった時や、読み始めてすぐにやめてしまったりした時、図書館が開いている時間に行けなかった時などは、次の図書館の日まで少し時間があいてしまうことがあります。

そんな時に登場するのがいわゆる中継ぎ、セットアッパーです。
基本的に図書館から借りて来る本は、現実からの逃避が目的ですから、長編小説がほとんどです。しかし、セットアッパーの役割りはあくまで「繋ぎ」なので、自宅の本棚から短編小説や、エッセー集、実用書などをひっぱり出して読む事になります。
ところが、このセットアッパーに気付かされる事、気持ちをリセットされる事が結構あるんです。
前にも読んでいるのに... 多分その時も読みながら「ウン、ウン、そうなんだよなー。」とうなずいていたはずなのに、さらに深くうなずいてしまったりする事が多々あります。

そこで、今回はそんなセットアッパーの1冊をご紹介。

「ロスチャイルド家の上流マナーブック」ナディーヌ・ロスチャイルド 著 伊藤緋紗子 訳(光文社)
お世話になっている方から「読んでみるといいよ...」とお借りしている本です。
単なるマナーブックではなく、また、上流階級や社交界を上手に生きるためのマニュアルでもなく、さらには女性に限らず...、他人に不快感を与えることなく、心豊かに、品格を持って生きるためのヒントが詰まった本なのです。

先日手に取って感銘を受けた部分をそのまま抜粋させてもらうと...(少し長いですが...)


 “まずあなたは外見で判断されます。
伝線したストッキング、手入れされていない爪、すりへった靴のかかと、つやのない髪、皺くちゃのシャツブラウス、派手なアクセサリー、挑発的な香水などから、あなたが身なりにかまわない、あまり洗練されていない人と判断されるかもしれません。
 同様に服の選択もあなたの人格を表しています。野心家は赤と黒を、ロマンティックな女は白とグレーを、子供っぽい人はピンクとブルー、コケティッシュな人は、腿の中央までスリットの入ったスカートや、視線がつい行ってしまうデコルテに身を包むでしょう。
本当にエレガントな人の服装については、人はあとで思い出せないものです。なぜなら、装いひとつの洗練性は、その控えめさからくるからです。
 あなたの振舞いについても人は判断します。あなたのしぐさや話し方はすぐにあなたという人物を出してしまいます。
 低俗さは、ほかにどんな長所があろうと耐えがたい唯一の欠点です。が、低俗さは、運命的なものではありません。あのバーナード・ショウの『マイ・フェア・レディ』もひどい発音の花売り娘が、ピグマリオンによってみごとな物腰とイントネーションの貴婦人に変化することができました。
(中略)そして結局、各人の選択の結果はみずからが背負うことになるのです。
 人は自分の名、財産、地位を失うことはできます。しかし、決して失うことがないのは、自分が受けた教育です。
 では、初対面の相手が「よい育ちの人間」と、どこで判断するのでしょうか。
●声の調子、表現の仕方。
●装い。
●振舞い。
●どのような状況にあっても示される控えめさ。
●礼儀正しさ、やさしい思いやり。
●セルフコントロール
●安定した精神状態(お天気屋さんではないこと)。
●そして、とりわけ自分自身、そして他人にたいする尊敬なのです。”


特に最後の部分は、「よい育ちの人間」と思われるかどうかということよりも、仕事でも遊びでも、日々の暮らしにおいて他人と接する時に「自分はこうありたい。」というひとつの指針になっています。
かくして今現在、自分にとってどの部分があてはまるか客観的に見てみると... 悲しいかな、仕事において極端に控えめになる、という事以外ほとんどあてはまっていません。
育ちの良さ云々以前に、人として、大人として、まだまだらしいです。(泣)

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2012.02.06

感動、感銘... ピアノの発表会

ピアノを始めて5ヵ月の娘。初めての発表会のために練習していた短くて極々シンプルなメロディーが、先生との連弾が始まると同時に、複雑で雰囲気のある全く違う曲に聞こえました。「魔法使いのおばあさん」本当にタイトル通り、大きな黒いフード付きマントをはおったカギ鼻のおばあさんが出て来そうな雰囲気でした。

せっかくだから出てみましょう。発表会...。 と言われ週1回約5ヵ月。本当に大丈夫なのかと発表会の当日まで少し不安な気持ちもありましたが、親の心配をよそに、臆することなくステージに上がり、連弾2曲、ソロ2曲を楽しげに弾いておりました。

子供ってスゴいという話でななく、全くのゼロから始まり、手取り足取り丁寧に教え、発表会では立ち位置から始まって歩き方、おじぎの仕方、椅子の調整をして娘の調子に合わせて連弾をし、いろいろと世話を焼いてくれて... 。
初めての発表会での子供の姿にはもちろん感動し、夫婦してうっすらと涙までしましたが、同時に、この発表会が生徒達にとって最高の思い出となるように一生懸命になる先生方の姿に強い感銘を受けました。

親が出来る事って本当にベーシックな事だけなんだな... と。もちろんその部分が一番大切なのでしょうけれど。
先日のスキー教室しかり、ピアノしかり、毎日の保育園しかり... 娘がひとりの大人として成長して行く過程には、たくさんの大人達の才能が惜しみなく分け与えられているって事ですね。

日々の生活に追われている自分を客観的に見た時、果たして自分がそういった働きが出来ているのか... そんな風に考えてみることで、仕事の仕方が少し変わったり、違った視点を持つ事が出来るような気もしますが... どうでしょう。

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2012.01.18

やがわ の「くるみとうふ」と「胡麻とうふ」

手渡された発泡スチロールのボックスに「復興デパートメント」のステッカー。

先日、友人家族から素敵なギフトをいただきました。
素敵な理由は、そのギフトの背景に大切なストーリーや深い想いがあるからです。

東日本大震災と原発事故で、言葉で安易に表現出来ないほどの被害を受けた東北の人達が、「自分達の故郷をなくしてはならない」という強い想いで立ち上げた『復興デパートメント』プロジェクト。そのプロジェクトに参加している、宮城県石巻「やがわ」の和スイーツ『くるみとうふ』と『胡麻とうふ』。

想像していたよりもしっかりとした甘みで満足のいくスイーツ。そのくせ食べた後に罪悪感を感じない、美味しくて心に優しいスイーツです。本当に美味しかった...。

そう言えば、「美味しい!」と感動するたびに脳内で「快楽物質・エンドルフィン」が分泌されるそうです。
食べ物を美味しくいただく事は、まさに人や暮らしを良くする事なんだと気付かされます。

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2012.01.02

笑門来福で迎える新しい年。

年が変わったからと言って、いろいろな事が急に明るく、上向きになる事は無いと思います。
だからこそ、どうせなら笑って暮らそうと思います。 笑門来福です。
自分が前向きな「いい気」を放っていれば、同じような、もしくはもっとハイレベルの「プラスの気」を持った人と出会えるに違いないと信じています。

常時プラス思考でとは言っても、まだまだ成長途中の未熟者ですから、”いつでも上機嫌” という訳には行きませんが、少なくとも、焦ってイライラする事無く、どっしりと地に足を着いた、余裕さえ感じるような立ち居振る舞いが出来るようになりたいと思っています。

磯部餅、おせち、ぞうに、酒、ぜんざい、菓子、ぞうに... という、家族と過ごすいつもの元日が開けた今日、昨年一年間お世話になったお札を持って高崎の倉賀野神社にお参りに行って来ました。
江戸時代には、中山道倉賀野宿と近隣地域の総鎮守として崇敬を集めたこの神社は、静かで穏やかなたたずまいの中にしっかりとした存在感を持つとても良い神社です。
我が家を建てる時の地鎮祭をお願いし、その後も厄除けや子供が生まれた際のお宮参り、七五三と、節目節目にお世話になっています。

いい気に満ちた神社で「家内安全」と「商売繁盛」のお札をいただいて来ました。
まー、商売のほうは良い仕事の結果として繁盛してくれれば良いという感覚ですが、商売が安定する事で気持ちにも余裕が生まれますから、家庭内の穏やかさや健やかさに繋がって行きます。
もちろん家族が仲良く、健康でなければ良い仕事もできませんから、そのあたりは全てが見事に繋がっている訳です。
だからこそ「笑門来福」。 楽しく笑って福に来ていただきましょう。

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2011.12.14

もうすぐクリスマスですね。

今の時期、夜に仕事をしていると、青や赤のライトが視界に入ってくる。
仕事場につながった2階のリビングスペースに飾ってある、こじんまりとしたクリスマスツリー。

私の住む街のイルミネーションも、例年に比べ設置が遅く、全体的に少しトーンダウンしている様子。

そもそも日本のクリスマスは商業的な要素が大きくて... なんて言えないほど冬の定番イベントとして定着しているクリスマスだから、せめて、サンタクロースの存在を信じている子供達には、いつも通りの華やかな時間を過ごさせてやりたいと思っている... 。と書いている横で妻が、アマゾンで購入した娘へのプレゼント(サンタクロースからの)がイメージしていたものより“しょぼい”と肩を落としている。でも大丈夫。子供は大人が思っているより懐が深いから、いろいろな事を察して、喜んでくれるはずだ。

普段なかなか会う事の出来ない従兄弟達と会って、子供達みんなでケーキをデコレーションして、プレゼントを交換して...。
こんなご時世だから、自分もチキンのドラムスティックを24本くらい焼いて、義理の弟は得意のスパゲッティを調理して...。
なにもかもがシンプルに手作り。要は、一緒に楽しい時間を過ごすことが大切なのだと思う。

先日、お世話になっている方からいただいた言葉、
“子どもたちがいつまでも健やかに育つ世の中であり続けることが、大人にとっても大切です。見失わぬよう生きたいと思います。”

クリスマスみたいなイベントは、いろいろな事を考える良いきっかけになるのかもしれません。
難しい時代だからこそ、家のささやかなツリーの青や赤のライトがいつもより優しく見えるような気がします。

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2011.12.07

そろそろエキスを取り込まないと。

ここ数日、仕事場に籠っている時間が長いためか話題に欠ける。
人には会っているのだが、保険の話だったり、会計事務に関する話だったり...。

今朝もMacの前に座り、慣れない印刷用データ作りにいそしんでいたら、弟と母が突然やって来て、「お昼にでも食べて」とセサミのパンにソーセージを挟んだホットドッグ、「おやつにでも食べて」と手作りのたいやき、そして「夕飯の時に食べて」とおからを持って来てくれた。
朝の太陽がたっぷりを差し込む仕事場で、のどかな一日のスタート。

師走に入りせわしない日が続くとは言え、やはり外に出て、いろんなものを見て、感じて...といった事をしないとダメですね。

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