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2010年12月

2010.12.27

2008.12.8 "sc journal" 掲載blog 36

温かいスープ。
冷え込みの厳しい初冬の朝、
前日夕食で残ったスープが、鍋から移されたホーロー容器のまま、クッカーの上で、直接弱火にかけられ温かそうな湯気をあげていた。
窓から外を見ると、隣家の屋根のソーラーパネルまでが霜で白くなっているような冷たい冬の朝。
「これぞホーローのなせる技」と感心しながら、そのあまりにも季節や暮らしに馴染んだ「生活雑貨らしいたたずまい」に心動かされる。
ちなみに中身は肉団子と白菜。体も心も温まる一杯のスープ。(うの)

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2008.11.29 "sc journal" 掲載blog 35

庭の紅葉
厳密に言えばまだ11月なのに...
「12月・師走」という言葉を聞くだけで何となく、気持がそわそわしてくる。
日本で良く使われるフレーズに「これじゃ年を越せない。」「これで年が越せる。」というのがあるが、これは日本独特の考え方だと思う。
そして、この考え方のせいで、師走になると、年内に残された時間の中でしなくてはならない事が自分の中で積み重なっていってしまうのである。
まさに too much on my plate... あせり症の自分は「過緊張」で毎朝5時30分に目が覚める事になってしまう。
そして、このブログの更新もまたしかり...なのである。あー、あせる。
という事で、今回は我が家の庭の山もみじ。見事に紅葉しているの図。(うの)

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2008.11.21 "sc journal" 掲載blog 34

帰って来た小包
仕事場の本棚にずーっと置いてある小包がある。
コンピュータに向かって仕事をしていても、少し視線を動かすだけて目に入る場所に置いてある。というか飾ってある。
美術学校時代の知人J(生粋の英国人)が、同窓で学んでいたこちらもはやり知K(ドイツ人)の妹さんと結婚した、という話しを人づてに聞いて『結婚祝い』として用意し、送り、そし「受取人転居先不明」で戻って来た小包。
今回、棚からおろしてみると、紙もテープにもほどよい「パリパリ感」が出ており、返送期日を見ると 13/5/96 (1996年5月13日)とあるので驚いた。なんと12年前である。
中身は「江戸切り子のペアグラス」。過去何度か「開けて自分達で使おうか...」と思った事もあったが、何となくそのままに。
開けられない理由としてはちょっとしたセンチメンタリズム。ひとつの小包が成田から飛行機に乗ってヒースロー空港まで行き、その後ロイヤルメールの赤いトラックでソーティングオフィス(配送センターのような場所)まで運ばれ、一度は北部ロンドンにある街の一棟のフラットの前まで行き、受取人が見つからず、また飛行機に乗って帰って来たかと思うと... 開けてしまうよりも、そんな、ほぼクリアに想像できるルートやしばらく暮らしていた街並み、知人達の顔、その場所で過ごした時間みたいなものがひとつの小包に詰まっていそうな気がして... 旅の行程で貼られたラベルやメモ書きみたいなものをそのままの形で残したいと思ったのである。
それにしても、せっかくのセンチメンタルヴァリューにキズを付けるようなのだが、切手を見るとこの小包のロンドン往復の旅費は2,060円。改めて郵便っていうのはすごいシステムだと思う。
英国は郵便システムの生まれた国としても知られているが、当時は(今はどうかわからないが)日に2回、必ずポストマンが配達にやってくる。心待ちにしている手紙がファーストポスト(1度目の配達)で届かなくても、セカンドポスト(2度目の配達)で来るかも...と望みを繋ぐ事が出来た。郵便料金も「速達」などの特別な便ではなく、「普通郵便」も翌日届く1st classとあまり急がない2nd classに分かれていて料金が違ったりしていた。
それに比べ... 私の住む町では、数ヶ月まえに気が付いたのだが、日に一度きりの郵便配達が夕方の5時頃来るようになった。これって普通に考えるとまさに「ありえない」事だと思う。例えば、仕事の書類や資料を郵便で送付してもらった場合、届くのは翌日の早くて夕方の5時。「そろそろ仕舞いにしようかな~」なんて考えても良い時間ではないか。大切な書類のやり取りを宅配便に持っていかれる...さもありなん、である。
でもね、本当は「郵便でメッセージが届く」ほうが雰囲気はあると思うのです。ロンドンまで行って帰って来た小包を見ていると特にそう感じるのです。(うの)

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2008.11.14 "sc journal" 掲載blog 33

馬跳びしてた。
それはそれは素晴らしい秋晴れに恵まれた今日(11月13日)の午後、と言ってもそろそろ陽が落ちそうな4時頃の事。
町内の「中央公園」脇を車で通りかかると、5人の少女が「馬跳び」をしている姿が目に入った。
助手席に乗っていた妻が思わず「見て、馬跳びしてるー!」 と声をあげる。
一度は通り過ぎたものの、住宅街の露地の角を何度か曲がって公園まで戻り、路上駐車して、カメラを持って公園内まで走った。
あまり近くまで寄る事も出来ず、望遠レンズも持っていない事が悔やまれたが... 、
銀杏の黄色が鮮やかに色付き始めた、ほとんどひと気の無い公園で、飛んでは崩れ、ケタケタと笑い、また飛んでは崩れ、笑い転げる少女達の姿に懐かしい思いが込み上げて来たと同時にとても安堵し、癒された。「まだまだ捨てたもんじゃない。」と。
おそらく... 公園の入り口に止められた彼女達の自転車のかごには、今時のほとんどの子供が持っているであろう「2画面小型ゲーム機」が入っていて、夕食後には家族で「体動連動型ゲーム機」で団欒の時を過ごすのかもしれない。(それはそれで、今という時代を考えれば悪い事ではないし、実際に、ゲーム熱中型の子供が必ずしも内向的ではなくどちらかといえば社交的だ、という研究結果も出ているらしい。)しかし、少なくともこの時の彼女達は、少し暗くなり始めた、秋模様の美しい公園で、思い切り体を動かし、馬が崩れて折り重なって倒れている事が楽しくてしょうがない、といった風に笑い転げていた。
そして、散歩の途中に、そんな少女達の微笑ましい姿を眺めながらひと休みしている二人の女性。 なにげないこんな風景が最高だと感じる。 それもこれも「小春日和」のなせる技なのか...、 いやいや やっぱり、「まだまだ捨てたもんじゃない。」(うの)

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2008.11.7 "sc journal" 掲載blog 32

美しい日本の景色 -autumn-
今回の一枚はパノラマサイズで。
休日を利用して訪れた地元群馬の草津温泉で、宿泊した部屋の窓から偶然捉えた一瞬の風景。
6:30am頃 橙色の朝焼けを受けて彩度を増したカラマツの山肌。
摂氏90度を超える源泉(万代鉱)から立ち上る湯気、そして、朝方まで降っていた雨がつくった虹。
時間にしたらほんの十分間くらいしか現れなかった奇跡的な風景。それを目にする事が出来た幸運に感謝。
紅葉と言えば、以前にも突然目の前に現れた見事な景色に思わず声をあげてしまった事がある。
それは3年ほど前、埼玉県の長瀞町、川下りで有名な「岩畳」で見た紅葉。
両側にみやげもの屋が並ぶ細い露地を抜け、視界が開けた瞬間目に飛び込んで来た色、色、色。鮮やかすぎてリアルだと思えなかった程だ。
切り立った崖を彩る、明るい黄色から深い赤への紅葉のグラデーション、ところどころに残る常緑樹の緑...。ゆっくりと流れる翡翠色に近い荒川に写る色彩。それはそれは美しかった。
自分が秋生まれだからという事ではなく、日本の秋ってすばらしい。(うの)

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2008.10.31 "sc journal" 掲載blog 31

オリーヴ...
久しぶりにSTUDIO CLIP前橋店を訪れると、店の西側に植わっているオリーヴの木に実がなっているのを発見した。
この季節、いたるところで鈴生りになっている’柿’と違って、オリーヴの実は発見すること自体にちょっとした感動を覚える。
STUDIO CLIP前橋店は、川原町という地名を見てもわかるように、もともとは、近くを流れる坂東太郎こと利根川の川べりの原っぱだったと思われ(素人の勝手な思い込み)、非常に水はけが良くかつ肥沃な土地にある。イコール、オリーヴやラベンダーなど、比較的ドライな環境を好む植物の栽培には適しているのである。と思う。
我が家の庭にもオリーヴが2本植わっているのだが、もともとが水はけの悪い粘土質なうえに、庭の土は造園会社自慢の「地元名峰赤城山の黒土」。確かにじゃがいもとか大根とかは良く育ちそうなのだが...、自分達が何を植えたいかを事前に説明しなかった事が悔やまれる。
そんな庭に、ジムニーの屋根にくくり付けて運び込んだ1メートルくらいの苗木を植えたのが3年ほど前、STUDIO CLIP前橋店のものほどエネルギッシュではないものの、今では2メートルくらいまで育ち、植えた翌年には「実」もつけてくれた、けなげな奴。
花壇の土も、自分達なりに腐葉土や培養土、バークなどを梳きこんだ事で、「それほど水はけの悪くない土」程度まで改善され、季節になるとラベンダーやタイムがたくさんの花を咲かせる’結構ナイス’な庭になってきている。
これから冬を迎え、アースカラーで覆われる我が家の庭で、唯一、弱々しいながらグリーンを保ってくれる可愛い奴... オリーヴなのである。(うの)

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2008.10.24 "sc journal" 掲載blog 30

素朴な豊かさ...
しばらく続いた秋晴れが終わり、久しぶりに雨降りとなった朝、すぐ近くにある小学校に観光バスが止まっていた。楽しみにしていたであろう秋の旅行。
おそらく子供達にとっては「なんでだよ~。」っと言った感じだろう。前の日に天気予報を見て、てるてる坊主を作っていた子供もいたはずである。
「かわいそうだけど、こればっかりはね~。」と話しながら車で打合わせに出掛けた。
打合わせの相手は、私達が勝手に「師」と仰いでいる作家兼デザイナーのT氏。私とパートナーが以前在籍していたデザイン事務所の上司でもあり、私達二人が「ものづくり」に関わる仕事をさせていただいている事の「原点」的な存在である。今はお互い別々の事務所を立ち上げて仕事をしているが、いつでも気さくに、こちらの要望を聞いてすばらしい文字やイラストを描いてくれる。
そして、打合わせも終わり事務所を出ようとした私達に、「これ、このあいだ野焼き(土器を作って露天で焼き上げる事。T氏が主宰する子供のお絵描き教室の恒例行事)した時に壊れちゃったやつだけど、持って行っていいよ。」と、子供達が手でこね、形作ったであろう小さくて素朴な土器と、破片を手渡してくれた。そして、私達を見送りに出てくれたアプローチに咲いていた秋アジサイをおもむろに摘んで器に差し、「ほら、こんな風にしたら、お宅にぴったりじゃない...。」とひと言。
子供達が野焼きした土器、可憐な秋アジサイ、さりげない心遣い... 。
モノや季節との関わり方や、暮らしの中で感じるささやかな豊かさみたいなものについて考えさせられた瞬間だった。
秋の雨に濡れた感じがとても良い、豊かさや美しさのエッセンスの詰まった「素朴さ」。
”まだまだ遠い、師の背中” なのである。(うの)

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2008.10.17 "sc journal" 掲載blog 29

秋の日の...
前回に引き続き「芸術の秋」... というより少し時間があったので、家の中に飾ってあるプリントや絵、写真などの整理・配置換えをした。
リビングと玄関の作品を入れ替えたり、しばらく飾っていなかった作品を引っ張りだしてきたり、陶器類を全て片付けてみたり。
時にパートナーとの意見が合わず「もうこのままでいいじゃん...」などど、なげやりになったりカチンときたり...。
でも、そんな「petit 模様替え」が終わり、二人並んで眺め、なかなかの出来映えに気持ちも一新軽やかに、「よし、じゃあ買い物でも行くか」と食料の買い出しに近くのスーパーまで車を走らせる。 なんて事はない秋の日の出来事。
今回の「petit 模様替え」で一番気に入ったスペースが、玄関から少し入ったところにある小さな一画。
陶器や花器を置いてあったその場所に、料理のレシピ本を置いてみた。厚さ7cmほどある、ズッシリと重たいこの本は、もともとスペインのレシピ本で、人気があって英訳されたもの。だったと思う。(記憶が曖昧...あしからず。)
様々な食材が、スペインらしい大胆な色使いと、紙面からはみ出さんばかりの勢いで描かれている、とても気に入っている一冊。
毎朝 新聞を取りに玄関に下りる時、パラパラとページをめくり、その日の気分で「今日のイラスト」を決めるのが最近の日課。 なんて事はない、秋の日のささやかな楽しみ。(うの)

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2008.10.3 "sc journal" 掲載blog 28

芸術の秋
Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」に行って来た。
芸術の秋...という事なのか、 平日のお昼前にもかかわらずとても混雑していた。
ジョン・エヴァレット・ミレイの代表作である「OPHELIA/オフィーリア」は、ロンドンに暮らしていた頃、カレッジと予備校の都合5年間アートスクールに通っていた事もあり、何度かテートギャラリ-で鑑賞した事のある作品だ。
話は少し飛ぶが、私が通ったアートカレッジはロンドンの中心部にあり、歩いて数分の距離に大英博物館があったり、お昼休みにちょっと出掛けられる距離にナショナルギャラリーがあったりした。大英博物館もギャラリーによってはほとんど人が居ない場所があり、諸々に煮詰まった時ふと出掛けると、石に囲まれたひんやりとした静寂の中で、時が止まったような、不思議な感覚になれる場所だった。
「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」に話を戻すと、作家としての栄華と軌跡を作品を見ながら知る事ができる、それはそれは素晴らしいものだった。 でも、でもなのである...。
せかされるように移動するいくつもの肩越しに観る「OPHELIA」は、以前テートで観たそれほど感覚的に迫ってくるものが無かった事は否めない。
名画に限らず芸術作品を鑑賞する場合、興味をそそられる作品の前に立ち、しばらくぼーっと眺めるのが良いと個人的には思っている。作品と対面する自分とそれを取り巻く空間。温度と湿度が完璧に管理されたギャラリー、コツコツと石の床を鳴らす足音、他の作品の前で囁き合うカップルのくぐもった声...。
キュレーターとして、作品や作家についての学問的な知識を得る事も必要とされる場合を除けば、芸術作品を鑑賞するという事は、作品そのものだけでなく、感覚/感情的に、見た時の空間や空気感みたいなものまで、一緒に思い出の中に取り込める事が醍醐味なのだと思う。(鑑賞の仕方は人それぞれなので、あくまで個人的な意見として。)
べつに「OPHELIA」を見る目的でテートギャラリー行かなくても、ついでに「OPHELIA」も観て来る事が出来た。今考えればとてつもなく贅沢な環境に身を置いていたと思う。
おそらく、芸術イベントとして「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」を捉えれば、非の打ちどころは無いのであろう。でも、芸術の秋を満喫したいのであれば、作品の知名度に関わらず、気になる美術館の「収蔵品・常設展」を見たほうが良い、と思う。日本の美術館はどこも「結構な作品」を持っているはずである。
以前、「好きな作品が遠方の美術館にあって、時々観たくなると時間をとって、新幹線に乗ってその作品だけを観に行く....。」という話を、スタディオクリップの企画スタッフの方から聞いた事を思い出した。自分も、どこか飛行機に乗らなくても行ける場所で、そういった作品と出会いたいと思う。
という事で、今回のイメージは、ミレイ展を観た後でランチに寄った「LES DEUX MAGOTS PARIS」を一枚。(うの)

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2008.10.3 "sc journal" 掲載blog 27

赤と青の鉛筆
先日、大好きな作家の随筆を読んでいる時にふと、覚えておきたい表現やフレーズを「マーク」しておきたいと思った。
今までは別の紙にメモしていたのだが、文庫本化された随筆/エッセイに「線」を入れようと思ったのはこれが初めてである。
仕事関係の書類や、いわゆるテキストブック的なものに「マーク」するのであれば、手元にある蛍光マーカーのようなものを使えば良いのだが、ちょっと違うだろう... と感じた。
そこで、文庫本のベージュ色の表紙を見ながら少しの時間考えて浮かんだのが、「赤と青に半々に色分けされた色鉛筆」である。
早速購入してきたTombow印のその鉛筆をカッターで削ってみる。赤の部分に「VERMILION」、青の部分には「PRUSSIAN BLUE」と書いてあり十分レトロな雰囲気もあるが、刷り込まれた細身のバーコードがさりげなくモダンで、文庫本の上に置いた時の存在感がとても雑貨風でよい感じである。
バッグからおもむろに取り出した文庫本に、栞代わりに挟んである青と赤の鉛筆...。
少し傷むかもしれないが、本とのこんな接し方も、作家や文章に対する愛情表現のひとつとしては「あり」なのではなかろうか。(うの)

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