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2010年12月

2010.12.27

2008.9.26 "sc journal" 掲載blog 26

九月の柿
「夏の柿」からおよそひと月。
じっとりとまとわりつくようだった空気が、いつのまにかさらりとした薫風に。
これからおよそひと月とちょっとの、心から気持ちいいと感じる季節。
そんな嬉しさと安堵の心持ちで、あの「和菓子屋」に季節を感じに行ってみた。
入り口を入って正面のショーケース、栗の生菓子の隣りに並べられた「柿」。
前回ブログで紹介した時に比べるとだいぶ色づいて来た様子で、このひと月に3回くらい色が変わっているとの事。
職人さんが街を歩きながら、季節と対話しながら、大切に菓子を作っている様子が想像できる。
途中から接客に出て来てくれた職人さんは、優しげな表情をした女性で、店先に並べられた和菓子からは、「季節」をやわらかな木綿で包んだような温かさが伝わってくる。
この「九月の柿」は、やはりこのブログで以前紹介した女性陶芸家の手による「まめ皿」にのせて...。(うの)

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2008.9.20 "sc journal" 掲載blog 25

ショップでの言葉...
ロンドンやパリでショッピングをすると...
たいがいの場合において、ショップスタッフが“hello” もしくは“bonjour” といった挨拶の声をかけてくれる。
これらの言葉はあくまで「挨拶」であるから、スタッフもショップに入って来た人に顔を向け、前の晩によほどイヤな事があったり、その日の朝に好物のベーグルが売り切れてしまっていない限り、さりげなく微笑んでくれたりする。するとこちらも、特別に礼節を重んじる日本人という訳ではなくても、心持ちが軽やかになりほおを緩めて、“hello” もしくは“bonjour” とはにかみながら返事を返す。
こんなさり気ない「一言」と「微笑み」のやりとりから入ることで、そのショップで過ごす時間が良いものになるから不思議である。次に続く「何か必要な事があったら言ってくださいね」という言葉に、軽い微笑みと会釈で応えると、その後しばらくはショップ内に自分と商品だけの空間が出来るような気がする...。そこには心地良い「対話」が存在し、「繋がり」を感じる。
今の日本においては多分、「いらっしゃいませ」が主流である。そしてこの一言がトリッキーなのだと思う。
どう探してもこの言葉に対しては返す言葉が見つからない。という事は、最初の一言から「対話」が生まれないのである。
だったら、比較的聞く事の多い「いらっしゃいませ、こんにちはー」というのはどうだろう。この場合はせめて、「こんにちは」の前に一呼吸おいて、気持ちを込めてほしい。棒読み調に繋げられた日には、そのあまりにもマニュアルライクな「サウンド」に、そうでなくても最近めっきり萎え気味の「購買意欲」が跡形も無く消えてしまうのである。
日本の文化において多分、この「いらっしゃいませ」は本来「かけ声」のようなもの、だったのではないだろうか。
あくまで人々の気を引くためのかけ声であって、この「いらっしゃい!」に引かれて来た人に対して、売り子はお客様ときちんとした、時に小粋な「対話」をしてきたはずである。
ロンドンやパリでは、そのショップで物を購入するしないに関わらず、よほど無愛想な人間であるか、そこでイヤな思いでもしない限り、こちらから「bye...」もしくは「au revoir...」と言い、挨拶を交わしてショップを出る。
日本では、その店で物を購入するしないに関わらず「ありがとうございました。」の声に送られて店を出る。まー、これだってそれほど悪くはない。気持ちがこもってさえいれば。
日本も「こんにちは」にしたらどうだろう。大切な人に挨拶するように、目線と微笑みを交えて。(うの)

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2008.9.13 "sc journal" 掲載blog 24

「時」の記憶。
パリの街で何気なく撮った1枚のスナップ写真。撮影日は2001年9月10日。
時間は夕刻を過ぎ、何となく「仕事が終わって家に帰るのかな...」と思いながらシャッターを切った記憶がある。
一昨日の9月11日、新聞やテレビニュースではさかんにこんな見出しでニュースを放送していた。「9.11から7年、グラウンド・ゼロで追悼式典」。
今年は大統領選挙と重なり、マケイン、オバマの両候補が式典に参加した事もあり、報道のされかたも大きかったように思える。
ということで、アメリカ同時多発テロが起きた時、私は家内と一緒にパリに居た。
STUDIO CLIPの方々に同行させていただき、メゾン・エ・オブジェやプルミエール・ヴィジョンなどの展示会を見学し、まさにSTUDIO CLIPの視点で見るパリの街を満喫していたのである。
すばらしい時間を過ごしたパリでのまさに最終日に起きたテロ。そして、その後錯綜するさまざまな情報、何度となく流される信じがたい映像、困惑と混乱の空気に満ちたホテル...。
皮肉な事に、このあまりにも強烈な負の印象が、パリで過ごした充実した時の記憶と結びついてしまっている。
この時のアルバムを見ていると、まさに「感動と喜び」「怒りと不安」そして「安堵」と、その時に感じたありとあらゆる思いが蘇ってくる。(うの)

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2008.9.5 "sc journal" 掲載blog 23

小さな籐かご
先日、外出から戻った時に見つけた偶然の風景。
穏やかな午後、誰もいない居間の床に残された小さな籐かごと木の野菜。
お昼を食べ、午睡に落ちる直前までオママゴトをしていたのか、ピクニックごっこだったのか... と、ひとり妄想にふけりながら、微笑ましい風景をデジカメで記録に残す。
先日STUDIO CLIP恵比寿店で撮影を行った際に、まさにそのプロポーションの可愛らしさに思わず購入してしまった「小さな籐かご」。
「小さな籐かごと暮らす」妄想展示会への招待状仕立て...で。(うの)

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2008.8.30 "sc journal" 掲載blog 22

シャボン玉の花
ここのところ毎日雨が降っている。
時に猛烈に激しく、各地で被害も出ている様子だ。
先日ちょっとした発見をした。
既に知っている人にとったら「なんだそんな事か...」と言われてしまうような、きわめてささいな発見である。
それは...つい先日の雨上がりの午後に娘と「シャボン玉」で遊んでいた時のこと、普通に吹いたシャボン玉が風に乗ってフワフワと飛んでいき、何かに当たって音も無くはじける... と思いきや、そのままの姿でそこここに留まったままなのである。
物理とか化学とかにはあまり詳しくは無いのだが、恐らく、シャボン玉が着地した場所に水分が多く含まれていると、シャボンの水分とくっついて微妙なバランスでそこに留まるのではないか... と納得しながら、その不思議な美しさに家族三人喜々として、シャボン玉を吹きまくりながら午後のひとときを過ごした。
写真は我が家の入り口のところに植わっているタイムにシャボンの玉が無数に付き、まるでシャボンの花が咲いたよう。 雨上がり、雲を通した淡い太陽の光を反射して、プリズムのように光る「シャボン玉の花」。(うの)

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2008.8.7 "sc journal" 掲載blog 21

「季節感」を取り込む。
リアルな夏を体験したいと思い、カヤック乗りに行って来た。
仕事仲間のフォトグラファーの方と一緒に、たまたま実家にお泊りに来ていた甥っ子(小2)を連れて...。
モーターボートや足こぎボートで賑わう観光地の湖から少し離れたさほど大きくない湖は、週末なのにとても静かで湖面は私達の2艇で貸切りだった。
標高約1300メートルの気温は25度くらい。灼熱の下界に比べ約10度は低く、時折りモヤがただよう湖面をすべるように進むカヤックの上で(漕ぐのはもっぱら前に座った甥っ子にまかせて)至極の時間を過ごした。
浅瀬に見える水中を泳ぐたくさんの小魚に喜び、水面上にせり出す木の枝から落ちるまだ幼い蝉を手ですくい枝に戻してやったりと、自然を相手に夢中になる甥っ子にとっては「夏の思い出=絵日記のネタ」となった事だろう。そして自分にとっては、ボーッとした心地よい時間と共に「リアルな季節感」として潜在意識の中に取り込まれ、いつかどこかで、何かの「ネタ」になってくれる事だろう。
その他、「季節感」というより「目と心の肥やし」として、8月30日からbunkamuraザ・ミュージアムで開催される「ジョン・エヴァレット・ミレー展」に「オフィーリア」を見に行きたい。(テート・ブリテンで何度か見たことのある作品。なつかしさもあるが、緻密な自然描写と水に浮かぶオフィーリアの姿が何度見ても衝撃的。)そして東京都美術館にフェルメールも見に行きたい(あまりにもメジャーなのだが、映画「真珠の耳飾の少女」の印象が良くて、背中を押されて...)。 BUT... 混雑する美術館が何よりも苦手な自分にとっては「よし行くぞ」と思い立つまでが大変なのである。 んー でもやっぱり見ておきたい。(うの)

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2008.7.31 "sc journal" 掲載blog 20

仮想季節とリアルな体験
梅雨も明けて夏真っ盛りである。
今年の夏もそれは厳しく、ギラギラと照りつける太陽はその射程距離にある全てのものを焦しつくす... ような勢いである。
日中の体感温度は、天気予報の「本日の最高気温」よりもたいてい5度くらいは高い。
各地の気象台が計測する「気温や湿度」を計る計器はどこに設置されているのだろうか。もし、小学校の時に校庭の片隅や図書館の脇で見た「百葉箱(たいてい白くて風通しの良さそうな木の箱)」のようなものの中にあるのだとしたら...、テレビで予想最高気温が真夏日の32度と言っていたら、実際は37度の酷暑日になると思った方が良い。
仕事場の窓の外には夏の風景がひろがり、ジージーと油蝉の音を聞きながら...  秋から冬の情景をイメージするコピーを考える。と同時に年末からお正月にかけて使用されるカタログのイメージをどうしようか考える。と同時に次の春夏のコレクション用招待状をデザインする... 。
グラフィックに限らずものづくりや企画・生産に関わっていると、リアルタイムとは全く別の「季節感」を表現しなくてはならない事が多い。
だから最近は昼はほとんど窓のスクリーンは降ろしたままにしている。夜だと目から入ってくる情報が極端に減るので、「仮想季節」に身を置く事が比較的容易にできる。それでも時々「これは秋冬だよね」「これって次の春夏用だよね」「ちなみに今は夏だよね」とひとり声に出して言わないと頭が、実際の季節なのか、仮想季節なのか混乱してしまう事がある。
いずれにしても、ヴィジュアルであれ、言葉であれ、プロダクトであれ「季節感」を表現するためには、それぞれの季節をきちんと感じ、味合わい、慈しみ、自分の中に体験として取り込まなくてはならない。
だから... せめてオフの時は(出来るだけオフを多く取って)、自然の中で、街で、季節を感じ、遊ぶ事がとても大切だと感じる。 さあ皆さん、外に出ましょう。とは言っても、出来るだけ日中は避けて、熱中症、紫外線対策をちゃんとして...。(うの)

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2008.7.24 "sc journal" 掲載blog 19

子供軸の時間
最近は、今までとは少し違った目線でモノを見る機会が多い。
●地元観光地の湖で「足こぎスワンボート(塗装が剥げ、見た目少しくたびれた白鳥の形をしたボート)」に乗る。
●湖畔のベンチに座り、観光客を乗せトコトコと歩く「トテ馬車」を横目にパンランチを食べる。
●観光牧場に行き、小動物たちと触れ合う子供を見て微笑ましい時間を過ごし、牧場自慢のソフトクリームを食べる。
●夏のスキー場を利用した「ラベンダーパーク」でリフトに乗り、ラベンダー味のソフトクリームを食べる。(おまけに、知らない間にリフトに乗っている姿を記念写真に撮られ、1000円で買い取って来る。などなど。
別に、「やけにソフトクリーム付いている...」という訳でなく、いわゆる「子供軸」での時間の過ごし方をすることが多くなった。
商業デザインを生業とする夫婦二人には、物事を斜に構えて見るような悪い癖があり、これまでは、一般的に「観光地」と言われる場所やハイ・シーズン的なイベントは極力避けて通って来た。 ところがである...。
この「子供軸」で場所やイベントを選択し、時間を過ごす事の中にこのうえない「楽しさ」を見いだせるようになった。
これもひとつの「成長させてもらっている」ことの証であると思うのだが、家族で過ごす時間がただ楽しいだけでなく、そういった場所で出会う人々、見る風景の中に様々な発見や感動がある。
ライフスタイルが大きく変わると「作風」も変化してくるのは、このように視点が変わることで、インプットされる情報が変化し、自分が表現したい事や表現手法が少しずつ形を変えるからだと思う。
そして最近では...、そういった機会に撮った写真をMac上で音楽と合わせ、簡単なスライドショーを作り、飽きもせず眺めている時間がたまらなく心地よいのである。(うの)

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2008.7.17 "sc journal" 掲載blog 18

健全な心は...
「健全な心は、健康な体に宿る」
まだ小さかった頃に良く聞いた事のあるこのフレーズを、今になって良く思い浮かべひとりうなずく事が多い。
ちょっとだけ歳を重ねて来ているからだろうか... 、自分にとって「良い時」を過ごすためには、心と体の均衡を保つ事がとても大切だと感じる。
例えば、お尻に火が付くまでほうっておいた仕事がたまりにたまって、本当に火が付いてしまったのに、コレといったいいアイデアが浮かばない時や、特別な理由は無くても気持ちが乗らない時、エンジンのかかりが悪い時... それらの理由でお腹の調子が悪くなってしまった時、頭の奥が重く感じられる時... 。
「健全な心は、健康な体に宿る」と言いながらとりあえず歩きに出る、ついでに少し走ってみたりする。
欧米の映画でも良く聞くセリフに " get some fresh air...” というのがある。新鮮な空気を吸って、出来ればひと汗かいて。
エクササイズをしたからと言って、その間に問題が自動処理されている訳では無いのだが、少し気持ちがすっきりする。
人間の膝は第2の心臓と言われ、歩くだけでも血の循環を活溌にしてくれるらしい。当然酸素も一緒に運んでくれる。そして、それと同時に、歩き・ジョギングする事で、結構頭の中が整理されてその後の作業がはかどる。...ような気がする。
別に気持ち的に滅入っているとか、気持ちが乗らないという訳では無いのだが、絶対的な運動不足を感じて、毎朝歩く事にした。
以前にも数ヶ月続けてそれなりの結果を出してくれたウォーキング。近くの公園にある1周800メートルのコースをその日の気分で、早歩きで4~5周ほど...。 iPodを聞きながら。
そうそう、iPodで聞くのは音楽ではなくて、主にポッドキャストでダウンロードした「ジャーナリズム系番組」が面白い。歩く事で老廃物が出て行く代わりに、ちょっとした知識が入って来る。ちなみに今朝聞いたのは、「輸血と疑惑」。
「なんで?」って感じだが、いわゆる「ながら聞き」するにはこういうのが適している。現在多くの医療機関で普通に行われている「輸血」が実は様々な問題をはらんでいるそうですよ...。その他にも「石炭の復活とエコの疑問」とか「ヒースロー空港第5ターミナルの失敗」とか...。
皆さんも是非お試しあれ...。って何を? もちろん気軽なエクササイズ。(うの)

080717

2008.7.10 "sc journal" 掲載blog 17

イトトタネ ~ 陶器のはなし2
前回の記事にも書かせていただいた作家さんの作品。タイトルは “イトトタネ”。
確か二年ほど前に写真手前に写っている作品を知り合いの設計士の方(共通の知人)からいただき、その後同じシリーズの作品を求めて工房を訪れた際に購入したのが奥の作品。ソラマメのようなユニークなフォルム。
まるで、仕上げに空気を「フッ」と吹き込んで膨らませたかのような、軽やかな浮遊感の漂う作品である。
“イトトタネ”...空気や時間といったような概念的なものを、陶器のシェルで作られた空間の中に内包している感じがとても好きだ。
器のように道具としての機能を持っていない陶器。だからこそさまざまなイメージを膨らませてくれる陶器。
焼き物を作るプロセス、または出来た物を見るとその人の性格が何となく分かるそうだ。だから... 自分ではなかなか手を出せないでいるのである。(うの)

080710