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2007年12月

2007年12月28日 (金)

人に会う日〜たまにこういう日がある〜

12月28日金曜日。
今日が仕事納め、もしくは大掃除をして1年を終わるという人も多いはずである。ちなみにウノーアソシエイツは、基本的に、明日事務所の大掃除および自宅の窓ふきをする予定だが、必要に応じて仕事もする。とは言っても電話で打ち合わせる程度だが...。しかしサービス業の人たち、特に物販や飲食店に携わっている人たちにとってはまさに書き入れ時であり、元日だけ休みもしくは元日も仕事という場合が多いのではないか。郊外型の大型ショッピングモールや各種コンビニエンス系のショップが元日にも営業するようになり、いつしかそれが当たり前になっている。ちょっと前までは、少なくとも元日にはどんな店も営業はしていなかった。どこにも行くところもないし、成人たちは朝からほろ酔い気分だから、子供達もそれにつきあって何となくみんなで家に居るというのが元日の過ごし方だったように思う。もらったお年玉で2日の初売りで何を買おうか...などと楽しい想像をしたり、兄弟で話したり...基本的にアクティブに活動しない、のが元日だったはずである。あの頃が懐かしい。
やっぱり最近はなぜかみんながせわしなく動いているような気がする(自分も含めて、もちろん)。例えば、「あけましておめでとうございます」の挨拶とおせち料理、お年玉の配布が済むとなんとなくそわそわとしはじめる。「どこか行ってくるかなー」。
どこか行きたいがために「お屠蘇」をひかえる(運転できなくなってしまうから)。「俺、アルコールはいいや、運転あるし...」。自然とお膳が、おせちの雰囲気が寂しいものになる。(飲酒運転取締強化の効果)
たいした用事も無いのに携帯電話を取り出し、友人と会う約束したり、後輩を呼び出したりする。(昔は余程の事がない限り元日に他人に電話なんかしなかったはずだ。1年にたった1回、せっかく家族でまったりできる時なのに...。(簡単に連絡が取れ過ぎる。携帯電話の普及のせい)あーお正月休みが「暇でたまらなかった」時代が懐かしい。

前置きが長くなってしまったが、今日はいつもとちょっと違った日になった。(これを書こうと思っていたのである)
午前中に打ち合わせ(2008年日本ソフトボールリーグ関連のイメージデザインの件)で高校からの友人であるM作君に会った。M作君と私は高校時代に同じ部活(ソフトボール部)に所属し、実は国体で2度も優勝しているちょっと汗臭さの残る友人である。M作君の結婚式では私と妻が証人にもなっているし、M作君のところには幸夏(コナツ)ちゃんというかわいい4歳の女の子が居る。とにかくこの際だから、打ち合わせをかねてみんなでランチでもしようという事になったのである。もちろんフイユもコナツお姉ちゃんの存在に喜び、コナツちゃんなコナツちゃんでフイユの存在を不思議そうに受け止めていた。
これが今日の「人に会うその1」である。

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そして午後、2008年用のボクサーショーツを購入するために高島屋に行った。まず、高島屋の1階には妻の友人(音がフイユと同じ名前)が働いている。彼女にはフイユが生まれてこのかた、高島屋に行く度にフイユを見てもらいたく思っていたのだが、信じがたい事にほぼ1年間、私たちが高島屋に行く時に限って休みだったりして1度も会えずにいたのである。今日もまず1階の彼女の居る売り場へ行ったのだが見当たらず「こりゃつくづく縁が無いって事だ。」とお目当ての4階に行った。
4階には母の友人で私も良く知っている「トミヤスさん」という女性がパートタイムで働いており、この人にもフイユをまだ見てもらっていなかった(1階の彼女同様にタイミングが悪くなかなか会うことが出来なかった)。
しかし今日はまず、4階のトミヤスさんが居たのである。挨拶をし、フイユを紹介し、抱っこしてもらった。「人に会うその2」。そして4階での買い物も終わり、帰りに1階に降りたところ、居なかったはずの妻の友人が居るではないか...。久しぶりの再会を喜び、ここでもフイユを紹介し、抱っこしてもらい、我が家に寄ってもらうことの約束を取り付けて帰って来た。「人に会うその3」。
このように、今日は普段会わない人、会いたいと思っていたけれどなかなか会うチャンスのなかった人に、立て続けに会う事が出来た日だった。 こういう出来事が1年の終わりにあると、なんだか「良かった」と思える。ちょっと疲れたけど。

2007年12月27日 (木)

ブログ why not?

今動いているプロジェクトのひとつに、クライアント企業のホームページリニューアルがある。
ネットショッピングも行っているそのサイトはなかなかのアクセス数があり、ショップでの売り上げをより増やす意味合いも込めて新しいシステムに乗り換える予定だ。しかし、ホームページを公開するということは、その企業理念やブランドを広く周知させるという意味合いも強く、それらイメージの向上に結びつかなければホームページを持つ事自体の意味がなくなってしまう。
ネットショッピングでの売り上げが良い、という事は喜ばしいことであり、より上を目指すことは重要だが、その部分に重きを置いたホームページ作りをする事で、ブランドイメージそのものの低下は絶対に避けたい、というのがクライアントの希望である。
そこで、一般ユーザーが興味を持つと思われる情報の発信を積極的に行うべく提案したのが「ブログ」の有効活用である。
ただホームページ上に情報を記載するのではく、ブログ形式で情報を発信することで、情報ががぜん活きてくる。情報はコメントを書く担当者のダイアログとして発信され、情報に対するコメントやトラックバックを受け付ける事で(それなりのリスクも発生するが)ユーザーと企業の間で双方向の情報の流れが生まれる。『ショップからの情報』『商品開発における企画やデザイナーからの情報』『企業がインスパイアされる物事の関する情報』それらを、担当者を決めてブログとして作り込むという提案をさせていただいた。
しかし、担当者レベルでは共感を得て「是非そのラインで...」という事になったのだが、その上のレベルから「そもそもブログを書きたがるショップスタッフや企画スタッフが居ないのでは...」「ブログを書かせる事がスタッフへの負担となる...」といったネガティブな意見が出てきたらしい。(らしいというのはそのミーティングに私は参加していなかった)
その上司の言っている事もわからないではない。簡単にブログとは言っても公開する文章には書き手の責任が生じ、ひとつ表現を間違える事で企業やブランドのイメージをひどく傷つけることになるからである。とは言っても、こちらもまったく自由に書かせるという事ではなく、「きちんとブログの管理担当者を設ける」「一定のフィルターを設けて書き手を選ぶ」などの対策もちゃんと考えての事なのだが...。
今日の打ち合わせで強く感じたのは、まー、百歩譲って「ショップスタッフに有用な情報を、わかりやすい文章表現でコンスタントにブログに掲載する」事を望むのは少しむずかしいかもしれない(これもかなり失礼な話で、実はとても上手に表現出来るスタッフも居るはずである)が、企画・デザインを担当するスタッフが自分たちがクリエイトするモノに対して「言葉」を持たないというのはどういう事であろうか。たとえそれが社内であったとしても、自分の想いをどうやってプレゼンテーションしているのだろうか。例えばブログを書くということで、自分のものづくりに対する考えを一般ユーザーにわかりやすく表現することで、クリエイションそのものがより磨かれるのではないだろうか。
また、「負担になる」という表現にもかなり引っかかりを感じた。ブログを書く、ブログを使って伝える意義のある情報を発信する、という事が決まったら、それはれっきとした「業務」になるのではないだろうか。だれもスペアタイム、プライベートな時間を使っての作業を要求しているのではないのだ。「ブログを書く」ことはいわゆる「日々の業務報告を書く」事と同じ事になりうると思うのだが、違うだろうか。確かに文章表現については多少勉強しなくてはならないかもしれないが、それだってやらない事にはうまくもならないし、やらなければ結局活きた情報なんて発信出来ないのである。
今度社長に直接話そうと思う。

フイユの発する声が日々変化してきている。連続して発する時など何となく「言葉をしゃべっている」ように聞こえる事もある。食事の時や妻を指差しながら「マンマ、マンマ...」というのは、妻も母乳を与えるという意味では「食事」ということになるのか。
今日、久しぶりにフイユを抱いてちょっと長めの散歩に行ってきた。城山から坂を下り、金井沢碑のところを通り、なんとかが丘団地(名前ど忘れ)を上って帰って来たのだが、結構疲れた。
天気も良く、空気の冷たさが気持ちよかったのだが、途中一服しながら歩いているおじさんの後を歩いた時はタバコの匂いに辟易した。せっかくのおいしい空気が台無しである。それもおじさんが一度吸って吐いたもの(副流煙)だと思うと息を止めたくなる。なんと言ってもフイユには吸わせたくない。とは言ってもスモーカーにとっては一服しながらの散歩も気持ちいいんだろうな、と思うとちょっと複雑な気持ちである。 共存はなかなか難しい。


2007年12月25日 (火)

クリスマス(総集編)

クリスマスか...。
中学、高校とプロテスタント系の学校に通い、10代後半から20代にかけてイギリスで過ごしたとはいえ、「クリスマス」に対する特別な思い入れがある訳ではなく、でも日本でのお祭り騒ぎに対しては斜に構えつつも、何となくワクワクする感じは嫌いではない、というスタンスの私である。
特に今年はフイユと迎える始めてのクリスマスという事で、家族3人でプレゼントを一応用意した。
まずフイユに優しい音のする積み木(皇后様が愛子さまに贈られたもの)

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そして私と妻には「スノーシューズ(ブーツ)」。これは、「いつでもフイユと雪を見に行けるように」、と購入を考えていたもの。たまに行くアウトドアショップから15%オフのDMが届いていたので、なかなか良い買い物ができた。

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これであとはフイユの長靴が揃えばいつでも行けるぞ。雪を見に+ソリ遊び+お茶。今一番の楽しみ。
昨晩のクリスマスイブは、妻の実家でささやかなクリスマスパーティーがあった。
手巻き寿司(まぐろ絶品)に宮城の牡蠣のフライ、クリスマスケーキ。義弟の子供達それにフイユにたくさんのクリスマスプレゼント。にぎやかなひとときにフイユは興奮したらしく、オネムの時間になっても全然寝てくれず、ちょっと困った。

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明日は私の両親のところに千葉に住む弟のところから子供が二人、27日には山梨の兄のところから子供が一人来る。
バタバタと年末、そしてお正月。あーせわしない。でもやっぱりちょっとワクワク。

2007年12月22日 (土)

フイユ、コノカお姉ちゃんと遊ぶ

今日は私たち家族でお付き合いのある友人のお宅へ伺った。
中澤家の昌子ちゃん(普段は旧姓で武井さんと呼んでいる)とは仕事でもお世話になっており、3歳の女の子「樹香(このか)」ちゃんがいて、ご主人はちょっとだけコレクター体質(機械時計系)のまじめな男性で、実は昌子ちゃんの妹さんである恭子ちゃん(ヘアメイク)にもお世話になっていたり...、とにかく私たちがとても好意を感じている友人である。
昌子ちゃんには、フイユが生まれた際、コノカちゃんが使っていたスイングを借りていたので、その返却と引越し祝い(中澤家は最近一戸建てに引っ越した)を持って伺った。
ちょっと見なかった間にコノカちゃんはとても成長していて、言葉も良くしゃべり、いきなり訪れた私たちにお気に入りのおもちゃを見せながらさかんに話しかけてきた。もちろん、フイユとも仲良く遊んでくれた。

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二人が遊ぶ姿、とは言っても同じ空間と時間をシェアしているだけなのだけれど、こんな後ろ姿を見ていると本当に微笑ましくなる訳で...

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普段私たちと家に居るか、最近では祖父母と過ごす事の多いフイユも、お姉ちゃんと遊ぶ「楽しさ」を無意識に感じているらしく、こんな風に互いに笑いかけ合う姿に思わず目頭が熱くなってしまうのは私だけだろうか。いやどんな親だって同じはずだ。

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中澤家は購入した家の壁にDIYで漆喰を塗ったりしながら「自分たち好み」の空間にしていくらしい...でも道のりはまだ遠く...って、なんと昌子ちゃん、第2子を授かったらしいとのうれしいニュース。左官仕事は忙しいご主人に任せて体を大事にしてほしい。コノカちゃんはもちろん、これから生まれてくるであろう子だってフイユにとっての大切なお友達になるのだから...。

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午後はまたいつものように仕事をする私と妻。そしてフイユはおばあちゃんの背中で気持ち良さそうに眠っていた。コノカちゃんとの遊びの続きを見ているのだろうか。(いや。たぶんオッパイの夢に違いない。)

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2007年12月21日 (金)

きれいな職場って...

今日は朝から納品に出かけた。S社から製作を依頼されていた「セール用フラッグ」(セール期間中ショップに吊るし、ディスプレイする、フランス製赤耳リネン生地にSOLDES!の文字をスクリーン印刷したもの)をT社に取りに行き、納品したのである。
T社では、フラッグの最終熱処理の為に少し待たされた。最初は事務所のテーブルで塩こんぶ茶をすすりながら、「職場における道徳云々」の小冊子を読んでいたのだが、「清水さん、退屈でしょうからこちらにいらっしゃいませんか」と社長から声をかけられ、事務所2階の工場に行った。(私の場合、事務所で小冊子を読む時間もなかなか好きであり、必ずしも退屈していた訳ではないのだが...)
工場の中には(なつかしい)スクリーンインクのにおいが漂っており(実は学生の時、アートスクールの授業の中ではシルクスクリーンが一番好きだった。大昔の話。)社長を含め職人さんがまさに私が発注したフラッグを熱処理の機械に通しているところであった。でも、私がそこで感じたのは、「良く片付いた、きれいな工場だ」という事。何となく想像はしていたが、発注先を間違えていない事を確認できてうれしかった。実は、これはとても重要な事だ。
私の好きなテレビ番組にスカパーのディスカバリーチャンネルで放送している「アメリカンチョッパー」という番組がある。アメリカではSUPER有名な、まさにヘルスエンジェルスあがりの父親と二人の息子が経営するバイク工場(OCC=オレンジカウンティーチョッパーズ)を舞台にしたドキュメンタリータッチの番組である。彼らが作るカスタムバイクはそれはそれで「すばらしくかっちょいい」ものなのだが、私が好きなのは、オーバーウエイト気味ひげ面マッチョの父親が、そこで働くスタッフ達に常に言っている「きちんと片付けろ!」「工具はちゃんとしまえ!」「常にきれいに保て!」という姿勢である。
確かに映像に映るワークショップは非常に、きれいに片付いている。そしてそんな仕事環境は、そこで作られるカスタムバイクに少なからず「付加価値」を与えていると思う。
ちなみに、私が自動車でお世話になっているクロちゃん(私より4〜5歳若い青年)の仕事場(整備工場付き輸入中古車販売店)も良く片付いていて気持ちがいい。(一度朝行った時に、普段は仕事場に居ない奥さんが掃除をしていた。)私がクロちゃんのところで車を買う理由(この5年くらいの間で3台買っている。履歴:VWゴルフガブリオレクラシックライン、OPELアストラワゴン、クライスラーグランドチェロキー)として、この片付いた仕事環境とそれが物語る仕事への姿勢、人柄が一番大きいかもしれない。 自分も肝に銘じたいと思う。

今日のフイユ。そんなこんだで午前中走り回っていた時に妻が携帯に送ってきてくれた写真。
こんなちょっとした事に癒される日々。


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Happy 11months old

今日12月20日はフイユの誕生11ヵ月である。日々の成長著しくまた、日ごとに可愛さをましていく。
先日、T社社長夫妻よりフイユにファーストクリスマスプレゼントをいただいた。嬉しいサプライズ。それも欲しいと思っていた木のおもちゃ(積み木?)。クリスマスまで待てずに開けてしまったので、11ヵ月ということで今日遊ばせてみた。

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2007年12月18日 (火)

落ち葉掃き

我が家の庭には1本のもみじが植わっている(紅葉の写真を以前アップさせていただいた...)。
それほど大きくはないが、株立ちで姿の良いもみじである。
今日の午前中、そのもみじから落ちた葉を掃き集める作業をした。フイユをおぶって。それにしても、「このサイズの木からこれだけ葉っぱが落ちるのかよ!」というほど大量の葉が落ちていた。この落ち葉の山の中で焼き芋を作ったら...なんて考えもしたが、現在の住宅環境は庭で落ち葉を燃やすなどという行為はとうてい許されない。それにしても今の子供達に「焚き火」なる体験をさせようと思ったらどうしたら良いのだろうか。アウトドアとはいえ多くの場所がいわゆる「直火」で火を焚く事を許可していないはずである。んー。昨今では「薪ストーブ」が人気で実際に私の知り合いにも薪ストーブを通常の暖房器具として使っているお宅がある。「ストーブの中で燃える火を見てると癒されるんだよねー。それにあのパチパチっていう音も...」私も大好きである。実際に家を建てる際には「薪ストーブ」も候補にあがっていた。
それほど「癒し」効果のある「火」を燃やすという行為が非常に遠い存在になってしまっているのも不思議なものだ。「薪ストーブ」を検討していた時、お店の人に「子供が居たら危険ですかね?」とたずねたら、むしろ「火は熱いものだ」「扱い方次第ではとても危険なもの」など、子供達にとっては良い教えとなる場合が多いとの事だった。その通りだと思う。
我が家の落ち葉も袋に詰められ、木曜日の朝に集められ、高崎市の巨大焼却炉の中で燃やされる事になる。同じ「火」なのに、焼却炉の「火」には「癒し」効果はありそうにない。


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2007年12月17日 (月)

予備室ふたたび。

毎年正月には両親のもとに家族が集まるのだが、今年は山梨から来る兄の家族が大晦日から1泊?我が家に泊る事になった。兄達は以前にも我が家に泊ったことがあるのだが、その時はまだフイユもこの世に生を授かっていなかったので、「予備室」を来客用として使う事が出来た。しかし、約11ヶ月前にフイユが生まれて以来、ベビー用の布団やら、頂きものの服やおもちゃをはじめとしたあらゆるベビーグッズ、チャイルドシートのパーツ、極めつけはひな人形セット、日本人形などが乱雑に置かれている状態が続いていた。前々から妻と「そろそろ片付け始めないとね」と言いつつも、忙しさにかまけてなかなか手を付けられずにいたところに兄達の来訪、という事になったのである。そこで「あーめんどくさい...」と思わずに「いいきっかけだけら、ちゃちゃちゃっと片付けてしまおう!」と前向きな対応をした事は、ちょっとだけ「自分たちをほめてあげたい」状態である。
私の母に午後フイユを見てもらっている間に、2時間ちょっとで見事に片付けてしまった。慣れない動きをしたせいで、その後の仕事に支障が出るほど、予想以上にエネルギーを消費して疲れてしまったが、「予備室」が片付いた事で気持的には「爽快」だった。(夕食およびフイユとの入浴後体力が回復したので10時頃から仕事を始め、今こうしてブログを書いている。)
今回の正月は、兄家族に続いて弟夫婦が泊るかもしれないので(兄の末息子のタクと弟の長男タツヤ、長女ミクの子供3人は実家の両親の家に泊る事になっている)けっこう楽しみである。
清水家のギャング達の中でフイユがどんな位置づけになるのか、どのような反応を示すのか...興味津々。

2007年12月14日 (金)

すごいぞ、4人組。

私の両親と2人の叔母(母の妹)の4人が先日「放浪の旅」に行って来た。とは言ってもバックパックを背負って何日も...という訳ではなく、漠然とした目的地だけを決めJRが出している「青春18きっぷ」を使って普通電車での小旅行に行ってきたのである。息子としてもどこに泊って、何泊して来るのかも知らされておらず、でも日頃から行動を共にしている4人組での珍道中を静観し、みやげ話を楽しみにしていた。それにしても最年長の私の母(71才)を筆頭に「なにが青春18きっぷだ」と言いたいところだが、このシステムはまさに両親の世代のためにあるのかもしれない。
彼らの放浪の旅は結局1泊と半分くらいのものだったが、内容的にはなかなか濃い(いつも)ものだったようだ。早朝に出発し、初日は名古屋(ちなみにスタート地点は高崎駅である)泊り。中部の都会を満喫し、これまたにぎやかなレストラン街でそれぞれが食べたいものを食べたらしい。母と那華子叔母が「みそかつ」、父がひとりで「ひつまぶし」(大のうなぎ好き)、政子叔母が「きしめん」(超がつくほどの麺好き、自分で蕎麦、うどんを打つ)を食し、政子叔母にいたっては「もう一度食べてくるから待ってて」とまさかの二度食いをしたらしい。すごい。(後日談として、父に「ひつまぶし」の感想を聞いたところ、はっきり言って「いまいち」だったらしい。)
翌日は横浜経由で浅草に向かい、一番の楽しみにしていたジャズのコンサートを聞き、夜中のうちに高崎に帰ってきたらしい。実際に過ごした時間の何倍ものみやげ話を持って帰ってくるのは、いつも思う事だが、すごいと思う。
なんと今年中(とは言ってもあと2週間しかなく、ふつう年の瀬はなにかと忙しいはずなのだが...)にもう一度ジャズを聞きに行きたいと言っているし、叔母達は「東京に住みたい」などと言っていたと妻に聞いた。すごい。
それにしても、こんな時間が過ごせる事はすばらしい事だと思う。自分たちで企画する楽しさ、お金の使い方(たっぷり使う部分と控える部分)にもめりはりを持たせ、体全体、五感全部を使って楽しんでいる姿は見ていて気持いい。
両親の世代にとっては、遠い先の夢ではなく、数日後、数週間後にたくさんの楽しみを持って暮らす事がエネルギーになっているような気がする。

今日はクライアントの「みそ漬のたむらや」での打ち合せに妻とフイユを連れて行った。
社長と営業本部長(素敵なご夫婦)にフイユを見てもらいたく「今日がチャンス」と連れて行ったのだが、サプライズにお二人ともとても喜んでくださった。お騒がせしました。

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嬉しい心配り

ここのところ毎週木曜日の午後はクライアント(食品メーカー)の店舗でメニューの撮影をしている。
1回で3点ほど撮影するのだが、発注者(T社副会長)と料理にあうクロス、マット、食器などを選び、料理を盛り、レイアウトを考え、だいたい決まったところで最終的な料理チェック、手直し、必要に応じて作り直しなどをしていると結構時間がかかるのである。それでも回を重ねるごとにコツとリズムをつかみ、副会長を筆頭に制作スタッフ、厨房スタッフとなかなか動きに無駄が無くなってきた。
前回の撮影では、料理を作るタイミング等が遅れ少し遅くまでかかってしまった。そんな時、我が家では妻がフイユと二人では食事もままならず、結局私の帰りを待つ事になる。そんな事情を知っているかのように、副会長がいろいろと気を使ってくれる。「早く終わらせて清水さんを娘さんのところに帰してあげないと...」とがんばってくれるのである。
今日撮った写真をノートパソコンで確認している私の後ろ姿を見て「清水さんの娘さんはマリナちゃんでしたっけ?」と突然聞くから、「いいえフイユです。」と答えた。なぜ「マリナ」なのかというと、今日私が着ていたのがイタリア海軍のジャージで、背中に大きくMARINA、改行して小さくMILITAREと刺繍がしてあったのだ。
私は十分にバカ親ですけど、背中に娘の名前を刺繍したジャージは着れません。副会長。

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