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2010.12.27

2008.9.5 "sc journal" 掲載blog 23

小さな籐かご
先日、外出から戻った時に見つけた偶然の風景。
穏やかな午後、誰もいない居間の床に残された小さな籐かごと木の野菜。
お昼を食べ、午睡に落ちる直前までオママゴトをしていたのか、ピクニックごっこだったのか... と、ひとり妄想にふけりながら、微笑ましい風景をデジカメで記録に残す。
先日STUDIO CLIP恵比寿店で撮影を行った際に、まさにそのプロポーションの可愛らしさに思わず購入してしまった「小さな籐かご」。
「小さな籐かごと暮らす」妄想展示会への招待状仕立て...で。(うの)

080904

2008.8.30 "sc journal" 掲載blog 22

シャボン玉の花
ここのところ毎日雨が降っている。
時に猛烈に激しく、各地で被害も出ている様子だ。
先日ちょっとした発見をした。
既に知っている人にとったら「なんだそんな事か...」と言われてしまうような、きわめてささいな発見である。
それは...つい先日の雨上がりの午後に娘と「シャボン玉」で遊んでいた時のこと、普通に吹いたシャボン玉が風に乗ってフワフワと飛んでいき、何かに当たって音も無くはじける... と思いきや、そのままの姿でそこここに留まったままなのである。
物理とか化学とかにはあまり詳しくは無いのだが、恐らく、シャボン玉が着地した場所に水分が多く含まれていると、シャボンの水分とくっついて微妙なバランスでそこに留まるのではないか... と納得しながら、その不思議な美しさに家族三人喜々として、シャボン玉を吹きまくりながら午後のひとときを過ごした。
写真は我が家の入り口のところに植わっているタイムにシャボンの玉が無数に付き、まるでシャボンの花が咲いたよう。 雨上がり、雲を通した淡い太陽の光を反射して、プリズムのように光る「シャボン玉の花」。(うの)

080830

2008.8.7 "sc journal" 掲載blog 21

「季節感」を取り込む。
リアルな夏を体験したいと思い、カヤック乗りに行って来た。
仕事仲間のフォトグラファーの方と一緒に、たまたま実家にお泊りに来ていた甥っ子(小2)を連れて...。
モーターボートや足こぎボートで賑わう観光地の湖から少し離れたさほど大きくない湖は、週末なのにとても静かで湖面は私達の2艇で貸切りだった。
標高約1300メートルの気温は25度くらい。灼熱の下界に比べ約10度は低く、時折りモヤがただよう湖面をすべるように進むカヤックの上で(漕ぐのはもっぱら前に座った甥っ子にまかせて)至極の時間を過ごした。
浅瀬に見える水中を泳ぐたくさんの小魚に喜び、水面上にせり出す木の枝から落ちるまだ幼い蝉を手ですくい枝に戻してやったりと、自然を相手に夢中になる甥っ子にとっては「夏の思い出=絵日記のネタ」となった事だろう。そして自分にとっては、ボーッとした心地よい時間と共に「リアルな季節感」として潜在意識の中に取り込まれ、いつかどこかで、何かの「ネタ」になってくれる事だろう。
その他、「季節感」というより「目と心の肥やし」として、8月30日からbunkamuraザ・ミュージアムで開催される「ジョン・エヴァレット・ミレー展」に「オフィーリア」を見に行きたい。(テート・ブリテンで何度か見たことのある作品。なつかしさもあるが、緻密な自然描写と水に浮かぶオフィーリアの姿が何度見ても衝撃的。)そして東京都美術館にフェルメールも見に行きたい(あまりにもメジャーなのだが、映画「真珠の耳飾の少女」の印象が良くて、背中を押されて...)。 BUT... 混雑する美術館が何よりも苦手な自分にとっては「よし行くぞ」と思い立つまでが大変なのである。 んー でもやっぱり見ておきたい。(うの)

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2008.7.31 "sc journal" 掲載blog 20

仮想季節とリアルな体験
梅雨も明けて夏真っ盛りである。
今年の夏もそれは厳しく、ギラギラと照りつける太陽はその射程距離にある全てのものを焦しつくす... ような勢いである。
日中の体感温度は、天気予報の「本日の最高気温」よりもたいてい5度くらいは高い。
各地の気象台が計測する「気温や湿度」を計る計器はどこに設置されているのだろうか。もし、小学校の時に校庭の片隅や図書館の脇で見た「百葉箱(たいてい白くて風通しの良さそうな木の箱)」のようなものの中にあるのだとしたら...、テレビで予想最高気温が真夏日の32度と言っていたら、実際は37度の酷暑日になると思った方が良い。
仕事場の窓の外には夏の風景がひろがり、ジージーと油蝉の音を聞きながら...  秋から冬の情景をイメージするコピーを考える。と同時に年末からお正月にかけて使用されるカタログのイメージをどうしようか考える。と同時に次の春夏のコレクション用招待状をデザインする... 。
グラフィックに限らずものづくりや企画・生産に関わっていると、リアルタイムとは全く別の「季節感」を表現しなくてはならない事が多い。
だから最近は昼はほとんど窓のスクリーンは降ろしたままにしている。夜だと目から入ってくる情報が極端に減るので、「仮想季節」に身を置く事が比較的容易にできる。それでも時々「これは秋冬だよね」「これって次の春夏用だよね」「ちなみに今は夏だよね」とひとり声に出して言わないと頭が、実際の季節なのか、仮想季節なのか混乱してしまう事がある。
いずれにしても、ヴィジュアルであれ、言葉であれ、プロダクトであれ「季節感」を表現するためには、それぞれの季節をきちんと感じ、味合わい、慈しみ、自分の中に体験として取り込まなくてはならない。
だから... せめてオフの時は(出来るだけオフを多く取って)、自然の中で、街で、季節を感じ、遊ぶ事がとても大切だと感じる。 さあ皆さん、外に出ましょう。とは言っても、出来るだけ日中は避けて、熱中症、紫外線対策をちゃんとして...。(うの)

080731

2008.7.24 "sc journal" 掲載blog 19

子供軸の時間
最近は、今までとは少し違った目線でモノを見る機会が多い。
●地元観光地の湖で「足こぎスワンボート(塗装が剥げ、見た目少しくたびれた白鳥の形をしたボート)」に乗る。
●湖畔のベンチに座り、観光客を乗せトコトコと歩く「トテ馬車」を横目にパンランチを食べる。
●観光牧場に行き、小動物たちと触れ合う子供を見て微笑ましい時間を過ごし、牧場自慢のソフトクリームを食べる。
●夏のスキー場を利用した「ラベンダーパーク」でリフトに乗り、ラベンダー味のソフトクリームを食べる。(おまけに、知らない間にリフトに乗っている姿を記念写真に撮られ、1000円で買い取って来る。などなど。
別に、「やけにソフトクリーム付いている...」という訳でなく、いわゆる「子供軸」での時間の過ごし方をすることが多くなった。
商業デザインを生業とする夫婦二人には、物事を斜に構えて見るような悪い癖があり、これまでは、一般的に「観光地」と言われる場所やハイ・シーズン的なイベントは極力避けて通って来た。 ところがである...。
この「子供軸」で場所やイベントを選択し、時間を過ごす事の中にこのうえない「楽しさ」を見いだせるようになった。
これもひとつの「成長させてもらっている」ことの証であると思うのだが、家族で過ごす時間がただ楽しいだけでなく、そういった場所で出会う人々、見る風景の中に様々な発見や感動がある。
ライフスタイルが大きく変わると「作風」も変化してくるのは、このように視点が変わることで、インプットされる情報が変化し、自分が表現したい事や表現手法が少しずつ形を変えるからだと思う。
そして最近では...、そういった機会に撮った写真をMac上で音楽と合わせ、簡単なスライドショーを作り、飽きもせず眺めている時間がたまらなく心地よいのである。(うの)

080724

2008.7.17 "sc journal" 掲載blog 18

健全な心は...
「健全な心は、健康な体に宿る」
まだ小さかった頃に良く聞いた事のあるこのフレーズを、今になって良く思い浮かべひとりうなずく事が多い。
ちょっとだけ歳を重ねて来ているからだろうか... 、自分にとって「良い時」を過ごすためには、心と体の均衡を保つ事がとても大切だと感じる。
例えば、お尻に火が付くまでほうっておいた仕事がたまりにたまって、本当に火が付いてしまったのに、コレといったいいアイデアが浮かばない時や、特別な理由は無くても気持ちが乗らない時、エンジンのかかりが悪い時... それらの理由でお腹の調子が悪くなってしまった時、頭の奥が重く感じられる時... 。
「健全な心は、健康な体に宿る」と言いながらとりあえず歩きに出る、ついでに少し走ってみたりする。
欧米の映画でも良く聞くセリフに " get some fresh air...” というのがある。新鮮な空気を吸って、出来ればひと汗かいて。
エクササイズをしたからと言って、その間に問題が自動処理されている訳では無いのだが、少し気持ちがすっきりする。
人間の膝は第2の心臓と言われ、歩くだけでも血の循環を活溌にしてくれるらしい。当然酸素も一緒に運んでくれる。そして、それと同時に、歩き・ジョギングする事で、結構頭の中が整理されてその後の作業がはかどる。...ような気がする。
別に気持ち的に滅入っているとか、気持ちが乗らないという訳では無いのだが、絶対的な運動不足を感じて、毎朝歩く事にした。
以前にも数ヶ月続けてそれなりの結果を出してくれたウォーキング。近くの公園にある1周800メートルのコースをその日の気分で、早歩きで4~5周ほど...。 iPodを聞きながら。
そうそう、iPodで聞くのは音楽ではなくて、主にポッドキャストでダウンロードした「ジャーナリズム系番組」が面白い。歩く事で老廃物が出て行く代わりに、ちょっとした知識が入って来る。ちなみに今朝聞いたのは、「輸血と疑惑」。
「なんで?」って感じだが、いわゆる「ながら聞き」するにはこういうのが適している。現在多くの医療機関で普通に行われている「輸血」が実は様々な問題をはらんでいるそうですよ...。その他にも「石炭の復活とエコの疑問」とか「ヒースロー空港第5ターミナルの失敗」とか...。
皆さんも是非お試しあれ...。って何を? もちろん気軽なエクササイズ。(うの)

080717

2008.7.10 "sc journal" 掲載blog 17

イトトタネ ~ 陶器のはなし2
前回の記事にも書かせていただいた作家さんの作品。タイトルは “イトトタネ”。
確か二年ほど前に写真手前に写っている作品を知り合いの設計士の方(共通の知人)からいただき、その後同じシリーズの作品を求めて工房を訪れた際に購入したのが奥の作品。ソラマメのようなユニークなフォルム。
まるで、仕上げに空気を「フッ」と吹き込んで膨らませたかのような、軽やかな浮遊感の漂う作品である。
“イトトタネ”...空気や時間といったような概念的なものを、陶器のシェルで作られた空間の中に内包している感じがとても好きだ。
器のように道具としての機能を持っていない陶器。だからこそさまざまなイメージを膨らませてくれる陶器。
焼き物を作るプロセス、または出来た物を見るとその人の性格が何となく分かるそうだ。だから... 自分ではなかなか手を出せないでいるのである。(うの)

080710

2008.7.3 "sc journal" 掲載blog 16

陶器のはなし
豆皿、ぐいのみ、お茶碗などなど... 写真の「器」は作風がとても好きな、地元群馬で活動している若手の女性陶芸家の作品である。
この他にも数点持っているが、毎回毎回戸棚から出すたびに「本当、いい器だな~。」と思う。
話は少々飛ぶが、先だって、1歳半の娘に「オレンジのヨーグルトがけ」をあげたところ、運ばれてくる器とその中身を見た時の彼女のリアクションが、目を細め、口を尖らせて「ウー、ウー」と叫びながら椅子から身を乗り出して...、「早くちょうだい、早く、早く」と、そんな感じだった。見るからに嬉しそうで、多分そんな気持ちの時は「良いホルモン」がたくさん分泌されていて、免疫効果も高めてくれて...。 単純に「良い感情を持つ」ということは体にとってとても良い事なんだろうな、と思った。
何が言いたいかというと、これらの「器」は、「器」としての役割りをきちんと果たすだけでなく、使うたびに私の中で「良いホルモン」を分泌させて、例えばさりげなく、風邪を引きにくい体、病気になりにくい体にしてくれているのかもしれない。ということは、生活雑貨にしても、服にしても、人間関係にしても... 自分にとって「良い感情」をもたらしてくれるものに囲まれて暮らすという事は、体にも良い事なんではないだろうか。(当たり前だが、その逆は体にとても悪いという事になる。)
前回の記事でも少しだけ触れたが、これらの「器」からも作り手の想いがちゃんと伝わってくるのである。以前この作家さんと話している時に、彼女が毎朝、ぬか床から出した漬物を切り、魚を焼き、ご飯を炊いて、自分で焼いた器に盛って...、そんな朝食をとっていると言っていた。その話を聞いた時に持った「きちんと暮らしているんだ」という強い印象が、「こういう人がつくる器を使いたい」という気持ちに繋がって行ったのだと思う。
この作家さんには以前、スタディオクリップをイメージして「オリーブの葉」をあしらった「土鍋」を作っていただいた事がある。
「器」以外の作品もとてもすばらしので、それらの紹介はまた後日改めて...。あー、そろそろ新作を仕入れに行きたくなって来た。
*この記事を書かせてもらうにあたり連絡をとったところ、赤ちゃんを授かって今は充実したマタニティライフを送っているとの事。新しい作品の購入はおあずけになってしまったが、おめでたいニュースにまたまた「良いホルモン」が分泌されてしまった。(うの)

080703a

2008.6.25 "sc journal" 掲載blog 15

嬉しい “Handwritten Message”
今ほどインターネット通信やデジタルでの情報のやりとりが盛んではなかった頃には、時折り友人や知人からポストカードが届いた。
海外旅行先からのカードは、訪れた事はないが良く目にする風景で少しキッチュなイメージなものが多くて、でもそこに書かれているメッセージに温かいものを感じた。アート系のポストカードや自分で撮った写真をカードにしたものにしたためられた、ほんの数行でまとめられた近況報告...。それらはどんなものであっても「もらってうれしいもの」だった。
自分でも美術館へ行ったりすると、必ずと言っていいほどミュージアムショップで気に入ったポストカードを何枚か購入し、ストックしておいたものだ。
先日、生活環境におけるひとつの節目を迎え、気持ちを新たに仕事に取り組もうと「バッグ」を購入した。仕事用とはいえ、ブリーフケース的なものを持つ必要はまったく無かったので、スタイル重視で、ショップスタッフの意見を聞きながら迷いに迷い、最終的に購入したものはとても気に入ったものになった。
そして数日後、そのショップから届いたポストカードには、肉筆で、バッグを買ったことへのお礼、購入したバッグに関する補足的な情報が丁寧な字で書かれており、最後は「お近くにお越しの際には是非お立ち寄りくださませ。」と結ばれていた。
おそらく書き慣れたフレーズ、いわゆる販促的な要素の強いメッセージカードなのかもしれないが、一文字一文字丁寧に書かれた文字や、買ったバッグのイラストまで描いてあるのを見て、単純に嬉しく感じ「また行ってみよう。次はキーホルダーでも買ってみようかな...。」と思った。
このメッセージを書いてくれたスタッフ(接客してくれたスタッフに間違いないと思う)は、数日前に訪れた客を思い浮かべながら書いたはずで、メッセージを読んだ私も、その時接客してくれたスタッフを思い浮かべながら読む。
同じ手書きのメッセージでも、思いが伝わるものは実際に思いを込めて書いているのだと思う。たとえそれが書き慣れたフレーズであっても。そしてそれはきちんと受け手に届くもの...だと思うのである。
先日、5つ前の記事「William Morris展」を読まれた方からメールをいただいた。
その方もWilliam Morrisのデザインが好きで、私の記事を読んで軽井沢での企画展にも行ってみたいと思い、もし行ったら報告のメールを送っていただけるとの事だった。 そして一昨日、その方からメッセージが届いた。William Morrisのポストカードで。いつもの郵便配達のお兄さんがカブに乗って運んで来てくれた。
メールが届いた時が最初の嬉しいサプライズ。そのうえポストカードを送ってくれるなんてさらに嬉しいサプライズ。二つのサプライズは間違いなく、私に「いい気持ち」を一緒に運んで来てくれた。 merci(うの)

080625b

2008.6.18 "sc journal" 掲載blog 14

ひまわり
梅雨の中休み。真夏のような強い陽が差す我が家の庭に3本のひまわりが植わっている。
保育園のバザーで買った1ポット100円のひまわり。
あらかたの商品が買い手を見つけ、走り回る子供達の他は少し閑散としてしまったバザー会場の一画で見つけたひまわりのポット。「せっかくだから...」と買ったのに、その日はポットのまま庭に置いておいたら案の定、気が付いた時には葉も花も力なく垂れ下がってしまっていた。
しかし...そこが花のすごいところ。もう夕方に近い時間だったけれど、たっぷりの水を根に含ませて地植えしたところ、翌朝には葉は力強く地面と水平に、花もしっかりと太陽のほうに向く準備をしていた。
まるで、ひまわりの茎の中を水が勢い良く通る音が聞こえ、花の付け根は、人間で言ったら喉がゴクゴクと波打つ様子が見えるようだ。
でも、不思議な事に、そこにひまわりが植えられたことで、そのまわりで控えめに咲く名も無い花の存在に目が行くようになった。ひまわりが無かった時はあまり気が付かなかった草花たち。
確かに、夏のひまわりは力強く、その元気な様子はまわりの何よりも目立つ存在ではあるが、必ずしもそればかりに目が行くわけではなく、逆に他の草花の「可憐さ」や「繊細さ」といった優しく、控えめな様子まで引き立って見えてくる。
結局はいろんなかたちのものが、バランス良く存在するのがいいのだと思う。
そういえば、以前美容師をしている友人から、美容室成功の要素のひとつとして、ひとつのサロンにドラえもんが居て、しずかちゃんが居て、のび太が居て、すね夫やジャイアンまで居るのが良いらしい、という話を聞いた事がある。(実際にスタッフをそれぞれの似たキャラクターに置き替えてみるそうだ。)
どんなシチュエーションでも、人が集まって何かをする場合は同じで、それぞれ違ったタイプの人がバランス良く、互いをリスペクトしながら存在するのが大切。という事だろう。 ちなみに私は...「ひまわり」ではない。(うの)

080618