他力本願
あえて自分の無知をさらけると... 今まで「他力本願」=他人の褌で相撲を取る。他の人の力でもって自分の願いを叶えるというような、まったくの直訳的な意味だと思っていた。
でも違っていたんですね。本当は仏教用語で、阿弥陀仏が衆生を救済するはたらき...だとか。
先日、ポッドキャストで寺島実郎さんの話しを聞いていた時に「他力本願」の本当の解釈を分かりやすく説明されていたので、流用させていただきます。
“親鸞というと、よく、「他力本願」の思想と言われています。他力本願は人にお任せで、自分はお任せしたきりで何もしない人の事だと言われがちですが、全く違っていて、他力によって、自分の力の限界を思い知って、「結局、御釈迦様の手のひらの中で自分たちは生きているに過ぎないのだ」と思う人の心の中に思い芽生えてくるのは、自分自身で立ちあがろうという気持ちなのです。自力ですべてを生ききっているのだと自信満々に見えるような人でも、本当に力をつけてきた人は、結局、自分が何かによって生かされていることに気づいてくるのです。”
写真は、お世話になっているコピーライターの方から取材旅行時の土産としていただいた、ヒンズー教の神様「ガネーシャ」。
商業と学問の神様... あやかりたし。