2008.5.13 "sc journal" 掲載blog 09
暮らしの痕跡
先日の5月5日子供の日、1歳3ヵ月になる娘を柱の前に立たせ、三角定規を頭にあてて、リビングルームの柱に傷を付けた。
76.5センチメートル。ついでに、その下に生まれた時の身長である50センチのところにも傷を付けて...。
夫婦で眺めた二つの「傷」は、娘の成長にたいする喜びと驚き、そして生まれた時の感動を思い出させてくれた。この「柱の傷」は、今後日々の暮らしの中で起き、その都度記憶の中にストアされていく様々な出来事や思い出を、見たい時に引き出してくれる「鍵」のような存在になるのだろうか。
大切な椅子の背もたれに付けてしまった傷、無垢材のダイニングテーブルについた染み、物を落としてヒビが入ってしまったキッチンのタイル...。その時は「しまった」とやりきれない、ざわついた気持ちになったものが、少し時間が経つと気にならなくなり、やがて「あの時は...」と思い出を引き出す「鍵」になっていくのだと思う。
片割れが壊れて一つだけになってしまったペアのカップ、あまりの着心地の良さにそこらじゅうがほつれるまで着てしまっているTシャツ、ひどくすり減った、でも足に馴染んだバブーシュ...。新しいものに買い替えるのは簡単だけれど、それぞれの傷みが自分の「暮らしの痕跡」。モノを捨てられない...というのとは少し違った感覚で、愛着を感じるモノ達。多分その感覚は、毎日使う事で自然と築かれていく「良いモノ」と自分の親密な関係性。
「10年後はこの辺りに傷が付くのかな...」 刃物を使って自ら付けた「柱の傷」は、過ごして来た時間への想いだけでなく、これから訪れるであろう時間に思いを馳せるという「楽しさ」ももたらしてくれる。
思い切って付けて良かった...。「柱の傷」。(うの)