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2010.12.27

2008.12.18 "sc journal" 掲載blog 37

「手仕事」が大事。
やれやれ...である。
ブログの更新が遅れてしまった事への言い訳ではないが、ちょうど一週間前の朝、Macが起動しなくなった。
デザインの仕事を長くしていると、何年かに一度はこういう事があって、その都度胃のあたりがキュッとなって、冷たい汗が背中を流れる。しかし、回を重ねる度に、そして今回はハードディスクのトラブルではない事が分かったので、比較的冷静さを保つ事が出来、世話になっているスペシャリスト氏に連絡し、落ち着いて状況を説明する事が出来た。
とは言っても、日々の仕事に必要なデータが全て入っている訳で、この危機的な状況から脱するために... さまざまな事を試し、問い合わせし、その都度落胆し、結局新しいMacを購入した訳である。
昔から比べれば、比較にならないくらい「お求めやすく」なったコンピュータだが、当然新しいMacはOSのバージョンも上がっていて、それに伴ってソフトもアップグレードもしくは新たに購入する必要もあり、結局「とても痛い、急な、そして結構な出費」になってしまった。「でもさ、しょうがないよね、これで食べてる訳だからさ...」と誰にともなく、自分で自分をなぐさめながら、でもそろそろ買い替えが必要になっていたデジタルカメラの購入はしばらく無理そうである。
それにしても仕事だけに限らず、暮らしにおいて「デジタルな環境」に依存しすぎていると強く感じる。
例えば、デザインの仕事においては、本来コンピュータに向かう前の「考える」ことから始まり、「考えをスケッチする」「言葉に置き換えてメモする」などのアナログな作業がしっかりと出来ているものの方が、最終的に質の高い作品になる場合が多く、最終的にコンピュータで処理したデジタルデータが壊れたとしても、手元に残ったスケッチやメモから作品を再生する事は容易なのである。
何事も利便性や効率の良さが問われている今こそ、きちんとした「手仕事」が大事なのだと改めて気付かされる。
ロゼッタストーンしかり、多胡碑しかり、石に刻まれた文字は気が遠くなるほどの時を経た今も残り、木片に書かれた文字も、和紙に書かれた文字も数百年という時が経っても、しっかりと、そのメッセージを私たちに伝える役目を果たしている。しかし、デジタル信号で残されたメッセージはいったいどれほどの寿命を持っているのだろうか。
例えば、今ここに「フロッピーディスク」に記録された大切なメッセージがあったとしても、今の私にはそのメッセージを見るための術がない。こんなデジタル化された環境に暮らしているのに。(うの)

081218